本田延三郎(読み)ホンダ エンザブロウ

20世紀日本人名事典 「本田延三郎」の解説

本田 延三郎
ホンダ エンザブロウ

昭和・平成期の演劇・映画プロデューサー 元・五月舎(演劇企画集団)主宰



生年
明治41(1908)年7月11日

没年
平成7(1995)年3月18日

出生地
北海道函館市

学歴〔年〕
函館商卒

主な受賞名〔年〕
紀伊国屋演劇賞(特別賞 第16回)〔昭和57年〕

経歴
昭和3年左翼劇場入団、小道具係をつとめる。治安維持法違反で3回検挙され、3年半を獄中で過す。戦後、新劇協同社、青俳、俳優座経営部を経て、46年5月五月舎を設立井上ひさし作「薮原検校」「雨」「小林一茶」などをプロデュースした。日本では数少ないフリーの演劇・映画プロデューサーの第一人者となり、映画では「日の果て」(山本薩夫監督・29年)「億万長者」(市川崑監督・29年)「武士道残酷物語」(今井正監督・38年)などを手掛ける。平成3年10月解散。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本田延三郎」の解説

本田延三郎 ほんだ-えんざぶろう

1908-1995 昭和-平成時代の演劇・映画プロデューサー。
明治41年7月11日生まれ。戦前は左翼劇場,新協劇団などで活動。戦後は青俳,俳優座をへて,昭和46年五月舎を設立。井上ひさしの「藪原検校」「小林一茶」などの舞台や,「武士道残酷物語」などの映画製作を手がけた。平成7年3月18日死去。86歳。北海道出身。函館商業卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「本田延三郎」の解説

本田 延三郎 (ほんだ えんざぶろう)

生年月日:1908年7月11日
昭和時代;平成時代の演劇・映画プロデューサー。五月舎主宰
1995年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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