コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

小林一茶 こばやし いっさ

デジタル大辞泉の解説

こばやし‐いっさ【小林一茶】

[1763~1828]江戸後期の俳人。信濃の人。名は信之。通称弥太郎。14歳の春、江戸に出て葛飾派の二六庵竹阿に俳諧を学ぶ。のち諸国を行脚(あんぎゃ)、晩年は故郷に定住。不幸の中で、俗語・方言を交え、屈折した感情に基づく独自の作風を示した。著「七番日記」「おらが春」「父の終焉日記」など。→一茶忌

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小林一茶 こばやし-いっさ

1763-1828* 江戸時代後期の俳人。
宝暦13年5月5日生まれ。15歳で信濃(しなの)(長野県)から江戸にでて流浪,二六庵竹阿(ちくあ)に師事。39歳で父と死別,継母らと遺産をあらそう。幼時から逆境にあり,俗語や方言まじりの生活感情に根ざす句をおおくのこした。文政10年11月19日死去。65歳。名は信之。通称は弥太郎。別号に俳諧寺など。句文集に「おらが春」など。
【格言など】めでたさも中くらいなりおらが春(「おらが春」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

大辞林 第三版の解説

こばやしいっさ【小林一茶】

1763~1827) 江戸後期の俳人。幼名、弥太郎、名は信之。別号、俳諧寺など。信濃国柏原生まれ。一五歳で江戸に出、俳諧を葛飾派の二六庵竹阿に学び、のち夏目成美の庇護を受ける。方言・俗語を交え、不幸な境遇を反映して屈折のある異色な作風を示した。老年帰郷し結婚したが、不遇の中に没した。著「おらが春」「父の終焉日記」など。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小林一茶
こばやしいっさ

[生]宝暦13(1763).5.5. 信濃,柏原
[没]文政10(1827).11.19. 柏原
江戸時代後期の俳人。通称,弥太郎,名,信之。別号,菊明,俳諧寺,蘇生坊,俳諧寺入道。農民の子。3歳で母を失い,8歳のとき迎えた継母と不和で,15歳の頃江戸へ奉公に出,いつしか俳諧をたしなみ,竹阿,素丸に師事。享和1 (1801) 年,父の没後継母子と遺産を争い,文化 10 (13) 年帰郷し,遺産を2分することで解決する。 52歳で妻帯,子をもうけたが妻子ともに死去,後妻を迎えたが離別,3度目の妻を迎えるなど,家庭的に恵まれず,文政 10 (27) 年類焼の厄にあい,土蔵に起臥するうち中風を発して死亡。数奇な生涯,強靭な農民的性格,率直,飄逸な性格が,作品に独特の人間臭さを与えている。編著『旅拾遺』 (1795) ,『父の終焉日記』 (1801) ,『三韓人』 (14) ,『七番日記』 (10~18) ,『おらが春』など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典の解説

小林一茶 (こばやしいっさ)

生年月日:1763年5月5日
江戸時代中期;後期の俳人
1828年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の小林一茶の言及

【一茶】より

…江戸後期の俳人。姓は小林,名は弥太郎。圯橋,菊明,雲外などの号がある。信濃国水内郡柏原村の農業弥五兵衛・妻くにの長男として生まれる。3歳で母を失い,8歳の時から継母に育てられたが折合いが悪く,内向的で孤独な性質が養われた。〈我と来て遊べや親のない雀〉は,そのころを追想した吟である。14歳のおり,江戸へ奉公に出る。俳諧は,初め葛飾派二六庵竹阿に学び,1787年(天明7)25歳の時,秘書《白砂人(はくさじん)集》を書写。…

※「小林一茶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

小林一茶の関連キーワード長野県上水内郡信濃町柏原長野県上水内郡信濃町千葉県流山市流山柏原(長野県)一茶双樹記念館小林一茶旧宅五十嵐波間藻ひねくれ一茶信濃[町]本田延三郎松野 健一二見 忠男一茶記念館黄華庵升六一茶大事典井上ひさし西原文虎亀井文夫松井松宇松熊信義

今日のキーワード

悪魔の証明

証明が非常に困難なものごとを表す比喩表現。古代ローマ法において所有権の帰属証明が極めて困難であったことから、この言葉が初めて用いられたとされている。現代においては、権利関係や消極的事実の証明に関する法...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

小林一茶の関連情報