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本行寺町(読み)ほんぎようじちよう

日本歴史地名大系 「本行寺町」の解説

本行寺町
ほんぎようじちよう

[現在地名]熊本市中央ちゆうおう

千反せんだん町とあるき町との間を結ぶ東西通りがある(現安政町と中央街の境界道)。その通りから千反町とほぼ並行に本行寺の東側を通って木戸組きどぐみ町に至る短い南北通り一帯を本行寺町と称すが、現在この小路はみられない。高田原こうだばる地域のほぼ真ん中の東側地域で、江戸時代は武家屋敷地のため町名がなかったが、明治六年(一八七三)本行寺丁と称し、同一三年本行寺町と称した。元禄(一六八八―一七〇四)頃には通り東側には知行取屋敷二が並ぶ。一つは間口一八間・奥入二五間余で、屋敷裏側は千反町通に達する。一つは間口二七間・奥入一〇間で、宝暦九年(一七五九)頃は間口一八間の屋敷には松崎勘大夫(三五〇石、十二番組)、間口二七間の屋敷には宮川加兵衛(三〇〇石、御使番)が居住している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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