朝日日本歴史人物事典 「本野盛亨」の解説
本野盛亨
生年:天保7.8.15(1836.9.25)
明治期の官僚,新聞経営者。佐賀藩士八田進の子,同藩本野権太夫の養嗣子。通称周造。漢学を谷口藍田,広瀬旭荘 に,蘭学を緒方洪庵に,英学をフルベッキに学ぶ。慶応2(1866)年藩命で江戸出府。明治1(1868)年神奈川県参事。外務権少丞,在英公使館1等書記官から大蔵省に転じ租税助,9年より15年まで横浜税関長,20年大阪控訴裁判所検事で退官。3年,子安峻・柴田昌吉と英和辞書印刷に日就社を設立。のち活字,設備を利用し庶民向け小新聞(大衆紙)『読売新聞』創刊,2代社長に。次男英吉郎が4代社長。東京で病没。長子一郎は寺内内閣外相。<参考文献>『読売新聞百年史』
(安岡昭男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報