子安峻(読み)こやすたかし

精選版 日本国語大辞典 「子安峻」の意味・読み・例文・類語

こやす‐たかし【子安峻】

  1. 実業家英語学者。大垣藩出身幕末蘭学、英語を学び、幕府開成所の教授となる。維新後、外務省翻訳官となり、明治七年(一八七四)「読売新聞」を創刊し、初代社長となる。同一〇年外務省退官後実業界で活躍柴田昌吉らと共編の「付音挿図英和字彙」がある。天保七~明治三一年(一八三六‐九八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「子安峻」の意味・わかりやすい解説

子安峻 (こやすたかし)
生没年:1836-98(天保7-明治31)

明治期の新聞出版経営者。《読売新聞》の初代社長。岐阜大垣藩士として生まれる。幕府に仕えたのち,維新とともに新政府に出仕。1870年(明治3)本野盛亨,柴田昌吉とともに印刷会社日就社を設立し,ここから73年《英和字彙》を編纂発行。その資材もとに74年11月《読売新聞》を創刊し,89年まで社長をつとめた。庶民むけの平易な内容の新聞編集に心がけたため,《読売新聞》は明治10年ころには東京で最大の部数に成長した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「子安峻」の解説

子安峻

没年:明治31.1.15(1898)
生年:天保7.1.2(1836.2.18)
明治時代の新聞経営者,実業家。幼名は鉄五郎。大垣藩(岐阜県)藩士子安宗茂,まきの長男。佐久間象山,大村益次郎らに英語,蘭学を学ぶ。幕府や明治政府で通訳などを勤め,明治3(1870)年,本野盛亨,柴田昌吉らと横浜弁天町に活版印刷所・日就社を設立。6年柴田と共著の『附音・挿図 英和字彙』を発行。7年11月日就社より『読売新聞』を創刊。また13年に貿易会社扶桑商会を設立するなど実業界でも活躍。22年『読売新聞』から離れ,26年に『いさみ新聞』を創刊した。<参考文献>『読売新聞百年史』,西田長寿『日本ジャーナリズム史研究』,竹内繁『読売新聞の創始者子安峻』

(井川充雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「子安峻」の意味・わかりやすい解説

子安峻
こやすたかし

[生]天保7(1836).1.2. 大垣
[没]1898.1.15. 東京
明治期の新聞・出版経営者。大村益次郎に蘭学を,佐久間象山に砲術を学んだ。明治維新後は新政府に仕え,神奈川裁判所に通訳翻訳方として勤めるかたわら,明治3 (1870) 年の『横浜毎日新聞』の創刊にも一役買った。また同年に日就社という出版社を創業して『英和字彙』という字典を発行した。 1874年に本野盛亨らと『読売新聞』を東京で創刊し,初代社長をつとめた。晩年は『いさみ新聞』を創刊 (93) したが失敗するなど不運であった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「子安峻」の解説

子安峻 こやす-たかし

1836-1898 明治時代の新聞経営者。
天保(てんぽう)7年1月2日生まれ。佐久間象山(しょうざん)らに蘭学をまなび,維新後,外務省翻訳官となる。明治3年本野盛亨(もとの-もりみち)らと印刷所を設立し,「英和字彙」を出版。7年この設備をもとに「読売新聞」を創刊し,初代社長となった。のち日銀初代監事。明治31年1月15日死去。63歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。号は悟風。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android