日本歴史地名大系 「本銀町一丁目」の解説 本銀町一丁目ほんしろがねちよういつちようめ 東京都:中央区旧日本橋区地区本銀町一丁目[現在地名]中央区日本橋本石町(にほんばしほんごくちよう)四丁目西は外堀に、北は神田八丁(かんだはつちよう)堀(竜閑川)に面する本銀町(一―四丁目)西端の町人地。南側は片町で本石町一丁目に接し、北側は蔵地。西方の竜閑(りゆうかん)橋南詰から東に通ずる本銀町通に沿う。町名は銀細工職が住んでいたことによる。寛文(一六六一―七三)頃までに成立した神田の新銀(しんしろがね)町(現千代田区)と区別するため本を冠した。寛永江戸図には「白かね町」、寛文新板江戸絵図では「本銀丁」となっている。徳川氏関東入国以前は本石町とともに福田(ふくだ)村であったという(江戸砂子)。明暦大火後の万治元年(一六五八)神田との境に火除地が設定され、翌年その南側に小伝馬上(こでんまかみ)町まで石垣を組み、高さ二丈四尺・長さ八丁の土手を築き、防火のために松樹を植えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by