小伝馬上町(読み)こでんまかみちよう

日本歴史地名大系 「小伝馬上町」の解説

小伝馬上町
こでんまかみちよう

[現在地名]中央区日本橋小伝馬町

本銀町ほんしろがねちよう通に沿い、東は大門おおもん通に面し、西は人形町にんぎようちよう通を隔て牢屋敷、南は小伝馬町二丁目、北は神田堀(龍閑川)に接する東西に続く片側町。国役町。通りの北側は住居蔵地。慶長年中(一五九六―一六一五)郭内にあった伝馬町を郭外に移した折に代地として給された地で、蔵地はかつて本銀町封疆であったところを元文四年(一七三九)に願出て住居蔵地としたもの(安永三年小間附町鑑・沿革図書)。寛永江戸図には牢屋敷の北側に「しんなハ町」と同二丁目・三丁目とあり、寛文新板江戸絵図では「やくしのまへ丁」、そして享保年中江戸絵図になって「小伝馬上町」と記されている。「やくしのまへ丁」の名は浅草寺あさくさてら(現台東区)東光とうこう院がかつて当地にあり、本尊薬師如来であったことから、同寺跡地は薬師堂前やくしどうまえとよばれたことによる(江戸志)。また町の南の東西に通る新道を御諏訪おすわ新道と称した(新修日本橋区史)。神田堀北側に飛地(現千代田区岩本町一丁目)があった。安永三年小間附町鑑によれば、牢屋敷御伝馬人足を勤め、京間一二五間、北側住居蔵地は京間三二間半。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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