本間憲一郎(読み)ホンマ ケンイチロウ

20世紀日本人名事典 「本間憲一郎」の解説

本間 憲一郎
ホンマ ケンイチロウ

昭和期の国家主義者



生年
明治22(1889)年12月24日

没年
昭和34(1959)年9月19日

出生地
茨城県水戸市

学歴〔年〕
東洋協会専門学校(現・拓殖大)支那語科中退

経歴
大正4年陸軍通訳としてシベリア、中国で諜報活動。昭和3年郷里茨城県真鍋に帰り、柴山塾を開設。6年頭山秀三の天行会理事、7年5.15事件に拳銃を調達し、検挙、禁固4年。出獄後14年結社を組んで勤皇まことむすび運動を展開、重臣暗殺のダイナマイト所持で同年検挙された。戦後新生日本同盟を結成、救国懇談会を組織し、右翼運動を指導した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本間憲一郎」の解説

本間憲一郎 ほんま-けんいちろう

1889-1959 昭和時代の国家主義者。
明治22年12月24日生まれ。陸軍通訳をつとめ,のち中国で陸軍の諜報(ちょうほう)活動にしたがう。昭和3年郷里茨城県に紫山塾をひらく。五・一五事件に連座して禁固4年。14年まことむすび社を組織。戦後,新生日本同盟を結成。昭和34年9月19日死去。69歳。東洋協会専門学校(現拓殖大)中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「本間憲一郎」の解説

本間 憲一郎 (ほんま けんいちろう)

生年月日:1889年12月24日
昭和時代の国家主義者
1959年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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