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本間玄調 ほんまげんちょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

本間玄調
ほんまげんちょう

[生]文化1(1804).常陸
[没]明治5(1872).2.8. 水戸
江戸時代末期の医師。名は資章,のち救と改名。号は棗軒,書斎名自準亭。文政3 (1820) 年本間道偉の養子となり,原南陽に医学を学ぶ。次いで,江戸に出て杉田立卿に蘭学,太田錦城に儒学を学ぶ。同7年長崎で P.シーボルトに入門するかたわら,楢林宗建オランダ語を学ぶ。帰路,京都で高階枳園に師事,同 10年華岡青洲に数ヵ月学んで,江戸に戻って開業。天保2 (31) 年水戸藩医に召され,嘉永3 (50) 年水戸弘道館教授となる。華岡流外科を継承し,その奥義を主著『瘍科秘録』 (37) ,『続瘍科秘録』 (53) で公開した。さらに『内科秘録』 (64) を著わして,医者は内科,外科に通じることが必要という自論を身をもって示した。

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世界大百科事典内の本間玄調の言及

【口腔外科】より

…第1次大戦時における顎顔面領域の戦傷者の治療は,口腔外科の発展に飛躍的な進歩をもたらした。 日本における口腔外科の歴史は,本間玄調(1804‐72)著の《瘍科(外科)秘録》の中にみられる口腔外科的記載が初めとされ,舌癌,上顎癌の症状や手術所見などがみられる。明治時代に入り,1883年医術開業試験の中に歯科という科目が設けられ,歯科医師の身分が確立され,1906年に歯科医師法が制定され,さらに09年伊沢信平により歯科医術開業試験の科目に口腔外科が加えられ,歯科における口腔外科の地位が確立された。…

※「本間玄調」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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