ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本間玄調」の意味・わかりやすい解説
本間玄調
ほんまげんちょう
[没]明治5(1872).2.8. 水戸
江戸時代末期の医師。名は資章,のち救と改名。号は棗軒,書斎名自準亭。文政3 (1820) 年本間道偉の養子となり,原南陽に医学を学ぶ。次いで,江戸に出て杉田立卿に蘭学,太田錦城に儒学を学ぶ。同7年長崎で P.シーボルトに入門するかたわら,楢林宗建にオランダ語を学ぶ。帰路,京都で高階枳園に師事,同 10年華岡青洲に数ヵ月学んで,江戸に戻って開業。天保2 (31) 年水戸藩医に召され,嘉永3 (50) 年水戸弘道館教授となる。華岡流外科を継承し,その奥義を主著『瘍科秘録』 (37) ,『続瘍科秘録』 (53) で公開した。さらに『内科秘録』 (64) を著わして,医者は内科,外科に通じることが必要という自論を身をもって示した。
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