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杉田立卿 すぎたりゅうけい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

杉田立卿
すぎたりゅうけい

[生]天明7(1787)
[没]弘化3(1846).11.2. 江戸
江戸時代後期の蘭方医。玄白の次男。オーストリアの J.プレンクの眼科書を翻訳して文化 12 (1815) 年『眼科新書』として刊行。本書に試みられた訳語,術語統一の功績は大きい。文政5 (22) 年,天文台で蘭書の翻訳を命じられ,次いで天保3 (32) 年『瘍科新選』を訳刊。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

杉田立卿 すぎた-りゅうけい

1787*-1845 江戸時代後期の蘭方医。
天明6年11月15日生まれ。杉田玄白の次男。父玄白には養嗣子伯元がいたので別家独立し,若狭(わかさ)(福井県)小浜(おばま)藩医となり,西洋眼科を専門とした。文政5年幕府天文台訳員となる。弘化(こうか)2年11月2日死去。60歳。江戸出身。名は予。号は錦腸(きんちょう),天真楼。訳書に「眼科新書」「瘍科新選」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

杉田立卿
すぎたりゅうけい
(1786―1845)

江戸後期の蘭方医(らんぽうい)。名は預(よ)、号は錦腸(きんちょう)、天真楼。立卿は通称。杉田玄白と後妻伊与(いよ)の子として江戸浜町に生まれる。通詞(つうじ)出身の蘭学者馬場佐十郎にオランダ語を学ぶ。1804年(文化1)蘭方眼科をもって別家独立、小浜(おばま)藩医となる。1815年プレンクJoseph Jacob Plenck(1738―1807)の眼科書を訳して『眼科新書』を刊行。これは西洋眼科書翻訳刊行の嚆矢(こうし)である。1820年(文政3)プレンクの『黴瘡(ばいそう)新書』を訳刊。1822年幕府の天文台訳員となり、馬場佐十郎の後を受けて、ショメルNol Chomel(1632―1712)の『日用百科事典』の翻訳に従事、その成果は『厚生新編』にみえる。また青地林宗(りんそう)とともにロシア人ゴロウニンの『日本幽囚記』の続訳にあたり、それは1825年『遭厄日本紀事(そうやくにほんきじ)』として結実した。天保(てんぽう)年間(1830~1844)老中水野忠邦(ただくに)の内命によって和蘭(オランダ)政典の訳に従事、これは子の成卿(せいけい)に引き継いだ。著訳書として前記のほかに『瘍科(ようか)新選』『和蘭外科要方』などがある。[片桐一男]

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