日本歴史地名大系 「本願寺岐阜別院」の解説 本願寺岐阜別院ほんがんじぎふべついん 岐阜県:岐阜市今泉村本願寺岐阜別院[現在地名]岐阜市西野町浄土真宗本願寺派の別院で、岐阜坊舎・西掛所・西本坊・西野御坊・西御堂などとよばれた。本願寺准如の岐阜巡教を契機として、慶長七年(一六〇二)小野木道栄・井上常春・土川休意らが坊舎の創建を企てた。准如は西野(にしの)町願誓(がんしよう)寺明宗に坊舎創建をゆだね後見役を命じ、翌八年堂宇が完成したという。准如は宗祖影像・絵伝・聖徳太子および七高僧の影像を下付した。坊舎事務や配下寺院は、願誓寺宗利が御坊御目代として取扱った。元和四年(一六一八)から留守居役と名称を改め、願誓寺が親子相続によって代々取扱ったが、文化七年(一八一〇)宗義を誤ったとして免職となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報