デジタル大辞泉 「准如」の意味・読み・例文・類語 じゅんにょ【准如】 [1577~1631]安土桃山から江戸初期にかけての僧。浄土真宗本願寺派第12世。西本願寺の開祖。顕如の第4子。徳川家康の建立した東本願寺に長兄教如が入ったことから、東西本願寺の対立が起こった。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「准如」の意味・読み・例文・類語 じゅんにょ【准如】 安土桃山から江戸初期の真宗の僧。本願寺第一二世。西本願寺派祖。本願寺第一一世顕如の四男で、初め長兄の教如が跡を継いだが、豊臣氏の支持でほどなくその職を譲られた。慶長七年(一六〇二)、教如は徳川家康の命によって建てられた東本願寺にはいり、ここに東西両派が分立した。天正五~寛永七年(一五七七‐一六三〇) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「准如」の解説 准如 じゅんにょ 1577-1631* 織豊-江戸時代前期の僧。天正(てんしょう)5年7月19日生まれ。顕如(けんにょ)の4男。母は如春尼(にょしゅんに)。浄土真宗。文禄(ぶんろく)2年豊臣秀吉の命で長兄教如(きょうにょ)にかわって本願寺12世(西本願寺)となる。大坂に津村別院,江戸に築地(つきじ)別院を創建し,教団整備につくした。教如は慶長7年徳川家康の援助で東本願寺をたてた。寛永7年11月30日死去。54歳。法名は光昭。号は理光院。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「准如」の解説 准如 (じゅんにょ) 生年月日:1577年7月19日安土桃山時代;江戸時代前期の僧;本願寺第12世宗主1631年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の准如の言及 【本願寺】より …その後83年和泉国貝塚,85年大坂天満(てんま)を経て91年豊臣秀吉の命により京都七条堀川に寺を移した(西本願寺)。1592年顕如の没後,長男教如が継職したが,故あって翌年弟准如に譲り隠退した。1602年(慶長7)教如は徳川家康から寺地を七条烏丸に得て寺を造建(東本願寺)。… ※「准如」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by