日本歴史地名大系 「朱智神社」の解説 朱智神社しゆちじんじや 京都府:綴喜郡田辺町天王村朱智神社[現在地名]田辺町天王天王(てんのう)集落西方の高(たか)ヶ峰の山上に鎮座する。祭神は迦爾米雷(かにめいかずち)命を主神とし、須佐之男(すさのお)命と天照国照彦火明(あまてるくにてるひこほあかり)命の二神を配祀する。旧郷社。「延喜式」神名帳の綴喜(つづき)郡にみえる「朱智神社」に比定される。九条家本・金剛寺本ともに「スチ」と訓じている。嘉吉元年(一四四一)の「興福寺官務牒疏」は社名を「朱智(すち)天王神」とし、その所在や祭神について「在同郷西之山上、祭所山代大筒城真若王之児、迦爾米雷王命、相殿、素盞嗚命、号大宝天王」と記すから、古くは二神であったことがわかる。〈京都・山城寺院神社大事典〉〔息長氏とのかかわり〕「日本書紀」「古事記」によると、迦爾米雷王は息長帯比売(神功皇后)の祖父にあたる。綴喜郷は古代に息長氏一族と関連深く、天平一六年(七四四)に開創された普賢(ふげん)寺は山号を息長山と号した。「興福寺官務牒疏」は「朱智天王神」を普賢寺の鎮守としている。さらに迦爾米雷王は朱智王ともいったといい、いわば息長氏の祖神を祀る社として創祀されたのが朱智神社であったことになる。「綴喜郡誌」に記す社記によると、仁徳天皇六九年に創祀され、大筒城真若(おおつつきまわか)王と迦爾米雷命の二座を相殿に祀り、宣化天皇元年に天王号を付けて、朱智天王と称したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by