朴沢綾子(読み)ホウザワ アヤコ

20世紀日本人名事典 「朴沢綾子」の解説

朴沢 綾子
ホウザワ アヤコ

大正・昭和期の教育者 元・朴沢学園学園長。



生年
明治30(1897)年

没年
昭和62(1987)年4月6日

出身地
東京都

旧姓(旧名)
杉谷

学歴〔年〕
宮城県立第一高女(現・宮城一女高)〔大正2年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和42年〕,勲三等瑞宝章〔昭和48年〕

経歴
旧制二高教授の杉谷泰山の二女で、大正2年宮城県立第一高女を卒業と同時に、朴沢学園を創設した朴沢家に嫁いだ。朴沢学園の教師校長(第5代)として女子教育に力を注ぎ、夫・三二(4代校長)の死後は同学園理事長を務め、戦後の校舎復興や昭和42年の仙台大学の創設、49年の川平への校舎移転を実現させ、52年、80歳で退いた。仙台家裁調停委員、仙台市公安委員、同教育委員会委員、宮城県私立学校審議委員など数多くの公職を歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朴沢綾子」の解説

朴沢綾子 ほおざわ-あやこ

1897-1987 大正-昭和時代の教育者。
明治30年生まれ。仙台の朴沢学園の教師,のち校長,夫の朴沢三二の死後は理事長となる。戦後の校舎復興・移転,仙台大の創設などにつくす。仙台市教育委員,宮城県私立学校審議会委員などをつとめた。昭和62年4月6日死去。90歳。東京出身。宮城第一高女卒。旧姓は杉谷。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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