杉ノ瀬村(読み)すぎのせむら

日本歴史地名大系 「杉ノ瀬村」の解説

杉ノ瀬村
すぎのせむら

[現在地名]名立町杉野瀬すぎのせ

名立川河口より上流約一里、右岸段丘上にあり、対岸田野上たのうえ村。正保国絵図に村名があり、延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では杉之瀬村高二八石八斗余とある。天和三年郷帳では杉野瀬村は高一八石三斗余である。江戸時代末期の名立谷開発の大恩人、竹田勘兵衛は当村の人である。当村竹田与右衛門より分家した家柄の四代勘左衛門は、文化四年(一八〇七)田野上村の永井氏の後を受けて大肝煎となる。開墾の大事業を行ったのは五代勘兵衛信成で、頸城郡北方きたがた(現上越市)の川上善兵衛の六男として寛政三年(一七九一)出生、文化年中竹田家の養子となり、文化八年二二歳で養父没後御用達となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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