杉津浦(読み)すいづうら

日本歴史地名大系 「杉津浦」の解説

杉津浦
すいづうら

[現在地名]敦賀市杉津

ひがし浦一〇ヵ浦の一。岡崎おかざき(七九・六メートル)が西流する大毛矢おもや川の沖積地と連結した地点の南側に位置し、南は阿曾あぞ浦。東北に田畑が開け、西は敦賀湾に臨む。古くは水津と記した。

奈良時代以来の北陸道は敦賀湾沿いに五幡いつはた坂を経て当浦に至り、山中やまなか(三八九メートル)を越える路と、敦賀津から当地に至る間は海路をとる路とがあり、杉津は海陸交通の要地となっていた。「源平盛衰記」巻四(白山神輿登山事)に、安元三年(一一七七)二月「十五日にはかへるの堂、十六日には水津の浦、十七日には敦賀の津」、「吾妻鏡」の養和元年(一一八一)九月四日条には「木曾冠者為平家追討上洛、廻北陸道、而先陣根井太郎至越前国水津、与通盛朝臣従軍、已始合戦云々」と記される。

天文(一五三二―五五)頃の朝倉教景書状(中山家文書)に初めて「杉津」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む