改訂新版 世界大百科事典 「李綱」の意味・わかりやすい解説 李綱 (りこう)Lǐ Gāng生没年:1083-1140 中国,南宋初期の政治家。字は伯紀。邵武(福建省)の人。1126年(靖康1)金軍の第1回開封攻撃の際の防衛戦を指揮し,火薬兵器を駆使して金軍入城を許さなかった。和平論者の台頭で江西に左遷されたが,南宋朝の誕生により初代の宰相に迎えられた。正規軍壊滅状態のなかで各地の義勇軍・民間自衛団を組織して金軍に対抗する政策を主張したが,高宗側近層との権力闘争に敗れ,退任し不遇な余生を送った。執筆者:寺地 遵 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李綱」の意味・わかりやすい解説 李綱りこうLi Gang; Li Kang [生]元豊6(1083)[没]紹興10(1140).1.15.中国,北宋末から南宋初めの政治家。邵武 (福建省) の人。字は伯紀。号は梁谿。政和2 (1112) 年の進士。欽宗のとき,兵部侍郎。金に対して主戦論を唱えた。靖康1 (26) 年金軍が南下したので防戦に努めたが敗れ,寧江に左遷された。南宋が復興し,高宗が立つと宰相となって軍政,民政にいろいろ画策したが,黄潜善に反対されて相位を去った。紹興2 (32) 年湖広宣撫使となり,流賊を平らげ,同5年に江西安撫制置大使となった。同9年荊湖南路安撫使に任じられたが辞した。主著『靖康伝信録』『建炎時政記』『建炎進退志』。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by