欽宗(読み)きんそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「欽宗」の意味・わかりやすい解説

欽宗
きんそう
(1100―1161)

中国、北宋(ほくそう)の第9代皇帝(在位1125~27)。姓名は趙桓(ちょうかん)。第8代皇帝徽宗(きそう)の子。当時の中国東北部は変動の時期で、遼(りょう)は新興の金の圧迫を受けていた。宋は金と結んで遼を挟撃したが、1125年の遼滅亡後は金と不仲となった。即位は首都開封(かいほう)が金の攻撃を受けようとしているときで、突然、徽宗から位を譲られた。26年の第1回攻撃をしのいで和平を結んだものの、主戦、主和の両論に対処できぬままに第2回の攻撃を受けて開封は陥落した。翌27年になると徽宗ら皇族とともに北方拉致(らち)され、宋はここに一時中絶した。これが靖康(せいこう)の変である。徽宗らとともに配所の五国城(黒竜江省依蘭(いらん)県)にあったが、金・南宋間の和議成立後も帰国できずに没した。

[伊原 弘]

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改訂新版 世界大百科事典 「欽宗」の意味・わかりやすい解説

欽宗 (きんそう)
Qīn zōng
生没年:1100-61

中国,北宋第9代皇帝。在位1125-27年。姓名は趙桓(ちようかん)。徽宗(きそう)の長男。首都開封が金軍の攻撃をうけようとした時,父から譲位せられた。主戦・主和に分かれた廷臣の意見を拾収することができず,1126年(靖康1),金の第2回攻撃で開封は陥落,金軍に捕らえられ,上皇徽宗・后妃・皇族らとともに金に拉致され,五国城(黒竜江省依蘭県)に抑留された。42年(紹興12)宋・金の和議成立後も許されず,配流30年で没した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「欽宗」の解説

欽宗(きんそう)
Qinzong

1100~61(在位1125~27)

北宋末の皇帝。姓名は趙桓(ちょうかん)。徽宗(きそう)の子。1125年軍の開封攻撃(靖康(せいこう)の変)の最中に,徽宗より位を譲られて即位し,開封陥落後,徽宗らとともに五国城(黒竜江省)に拉致(らち)され,配所で没した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「欽宗」の解説

欽宗
きんそう

1100〜61
北宋最後の皇帝(在位1125〜27)
先帝徽宗 (きそう) は蔡京 (さいけい) の献言により,金と同盟して遼を滅ぼしたが,かえって金軍の攻撃を受けた。欽宗は譲位を受けて国難処理にあたったが,1126年開封は攻撃されて落城し,翌年徽宗・皇妃・皇族3000余人と北満州に捕囚となり,和議成立後も許されず,病没した。

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