村上 勘兵衛
ムラカミ カンベエ
明治〜昭和期の農事改良家 重井村(広島県)村長。
- 生年
- 明治15(1882)年3月1日
- 没年
- 昭和53(1978)年11月25日
- 出身地
- 広島県重井村
- 学歴〔年〕
- 広島師範卒
- 経歴
- 明治40年頃から除虫菊の栽培普及をすすめる。昭和4年重井村村長となり、10年農事試験場除虫菊試験地の誘致に尽くした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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村上勘兵衛 むらかみ-かんべえ
1882-1978 明治-昭和時代の農事改良家。
明治15年3月1日生まれ。40年ごろから郷里の広島県重井村(因島(いんのしま)市)で除虫菊の栽培普及をすすめる。昭和4年同村村長となり,10年県農事試験場除虫菊試験地(現県農業試験場島嶼部(とうしょぶ)支場)の誘致に力をつくした。昭和53年11月25日死去。96歳。広島師範卒。
村上勘兵衛(4代) むらかみ-かんべえ
?-1682 江戸時代前期の版元。
村上浄徳(初代勘兵衛)が京都で開業した本屋の4代目。代々勘兵衛を称した。僧元政とまじわり,日蓮(にちれん)宗の図書を出版。寛文9年(1669)同業者と法華宗門書堂をひらき仏書105点を刊行,のち単独で法華寺院蔵版書の発行元となった。天和(てんな)2年6月死去。名は元信。屋号は平楽寺。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の村上勘兵衛の言及
【太政官日誌】より
…当初の印刷には木版整版と木活字が用いられ,数回分をまとめ書籍形式でも頒布された。版元は京都の御用書肆の村上勘兵衛で,遷都後は東京の須原屋茂兵衛の手に移っている。村上の回想によれば,政府の意図は外国の新聞に倣って毎日の決定事項を諸藩に令達することであった。…
※「村上勘兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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