村吉村
むらよしむら
[現在地名]泗水町吉富
東は平原村、西は富村に接し、花房台地の南縁に位置する。合志川中流右岸に水田地帯が広がる。
徳治二年(一三〇七)一〇月二二日、詫磨顕秀は鎮西探題北条政顕より弘安の役(一二八一)における勲功の賞として、鬮引によりもと村吉又次郎入道教西のものであった「合志郡村吉村」の田地三町と屋敷一宇を与えられている(「鎮西探題(北条政顕)恩賞配分状」詫摩文書)。「泗水町誌」によれば、康正二年(一四五六)合志隆門が真木村(現大津町)から住吉村の飛隈に移住した頃からその一族が分屯したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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