朝日日本歴史人物事典 「村山たか」の解説
村山たか
生年:文化6?(1809)
安政の大獄にかかわった井伊直弼の侍女。近江多賀社尊勝院主の娘。母は同社般若院住職の妹。同社寺侍村山氏の養女となり,伯父に育てられる。美貌と才気の持ち主で,京都に出て芸妓となり可寿江と称した。金閣寺住職に請われて隠し妻となり25歳で一子帯刀をもうけたのち,同寺寺侍多田一郎時員の妻となるが2年で離縁。彦根に帰り,部屋住み時代の井伊直弼の寵を受ける。やがて直弼の側近,長野主膳(義言)と親しくなり,主膳と共に直弼の政敵を探索した。文久2(1862)年11月,幕府権威の失墜を狙う尊攘派によって京都三条大橋に生き晒しになるが,助けられて尼となり,名を妙寿と改めて洛北金福寺に入った。
(大谷泰子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報