村山東割村(読み)むらやまひがしわりむら

日本歴史地名大系 「村山東割村」の解説

村山東割村
むらやまひがしわりむら

[現在地名]高根町村山東割

八ヶ岳南麓、標高七〇〇メートル付近の南面台地に位置。東は雲雀沢(ひばりさわ)川を隔てて箕輪(みのわ)村、西は村山西割村、南は蔵原(くらばら)村。中世の村山郷が慶長年間(一五九六―一六一五)に東・西・北に三分割されたといい、当村は上(うえ)ノ反(そり)・紺屋(こんや)・石田(いしだ)・原屋敷(はらやしき)・藤太夫(とうだゆう)・窪堰(くぼせんぎ)の六集落からなる(甲斐国志)。慶長古高帳では高五一〇石余、屋代越中知行。寛文六年(一六六六)の検地帳(県立図書館蔵)では高六四〇石余、反別は上田六町余・中田一四町七反余・下田二〇町二反余・下々田四町七反余、上畑一町一反余・中畑二町五反余・下畑八町五反余・下々畑一二町二反余、屋敷数四四。宝暦一三年(一七六三)の村明細帳(村山東割区有文書)によれば、寛文六年の検地で六三八石余となり、貞享五年(一六八八)の新田検地で一石七斗余が加えられ、合計六三九石余、反別は田方四六町余・畑方二六町四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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