村山長挙(読み)ムラヤマ ナガタカ

20世紀日本人名事典 「村山長挙」の解説

村山 長挙
ムラヤマ ナガタカ

大正・昭和期の新聞実業家 朝日新聞社主



生年
明治27(1894)年3月16日

没年
昭和52(1977)年8月7日

出生地
東京

学歴〔年〕
京都帝大法学部政治学科〔大正8年〕卒

主な受賞名〔年〕
新聞文化賞〔昭和37年〕,レジオン・ド・ヌール勲章コマンドール章

経歴
大正8年朝日新聞創始者村山龍平の養子となり、その長女於藤と結婚。9年朝日新聞社に入社、取締役。航空部長兼大阪朝日印刷局長、昭和8年会長、15年社長となり、大阪、東京、名古屋、小倉の4社の称号を朝日新聞に統一、編集総務を設けた。航空部長時代には草創期の民間航空の発展に尽力、朝日新聞社機による東京・大阪間定期航空の開拓、相次ぐ訪欧飛行などを成功させた。20年11月戦争責任をとって全役員とともに辞任。公職追放解除後の26年社主に復帰。35年社長。この間日本新聞協会長2期、朝日イブニングニュース会長、全日空取締役などを歴任。39年に社長を、40年取締役を退き、上野淳一とともに社主となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村山長挙」の解説

村山長挙 むらやま-ながたか

1894-1977 大正-昭和時代の新聞経営者。
明治27年3月16日生まれ。岡部長職(ながもと)の3男。朝日新聞創始者村山竜平の養子となり,長女於藤(藤子)と結婚。昭和15年朝日新聞社長。戦後辞任したが26年公職追放解除とともに社主に復帰,35年社長。昭和52年8月7日死去。83歳。東京出身。京都帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「村山長挙」の解説

村山 長挙 (むらやま ながたか)

生年月日:1894年3月16日
大正時代;昭和時代の新聞経営者。朝日新聞社主
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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