日本歴史地名大系 「村岡山城跡」の解説 村岡山城跡むろこやまじようあと 福井県:勝山市郡村村岡山城跡[現在地名]勝山市村岡町郡 寺尾天正二年(一五七四)一向一揆勢が平泉(へいせん)寺を焼亡させた時の拠点で、標高三〇一メートル、周囲約三キロの小高い山にある。「朝倉始末記」によると、同年四月一四日、大野・南袋(みなみぶくろ)・北袋・七山家(ななやまが)の一揆勢が協議し、村岡山を平泉寺に奪われて城とされると大きな痛手を受けるので、先手を打ってその夜のうちに城を構えることを決め、七山家の者は夜中に塀柵の木・乱杙・逆茂木などを結い、さらに堀をつくり、立てこもった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報