福井県北東部の商工都市。1954年勝山町と荒土(あらど),野向(のむき),村岡(むろこ),遅羽(おそわ),北谷,北郷,平泉寺,鹿谷の8村が合体,市制。人口2万5466(2010)。市街は大野盆地北部の九頭竜川東岸の河岸段丘上にあり,かつては手取川上流を後背地にして谷峠越え(現,国道157号線)に生糸,牛首紬(うしくびつむぎ)などを集散した。藩政期には刻みタバコでも知られ,明治後期に専売制になってからは機業に転じたが,廃業補償を資本にしたため規模が比較的大きく,県下機業の一中心である。1574年(天正2)平泉寺を焼き滅ぼした一向一揆が自らの拠点村岡山を勝山と改めたのが地名の起りとされ,80年柴田勝家の一族柴田勝安が南の袋田に勝山城を築き,1691年(元禄4)以降小笠原氏の城下町として明治に至った。北谷,野向など過疎山村を抱えて市の人口は減少したが,市街地は流出人口の受け入れと機業場の外部移転で拡大した。京福電鉄(現,えちぜん鉄道勝山永平寺線)が通じる。遅羽町嵭崎(ほうき)に縄文時代の三室遺跡があり,平泉寺には白山平泉寺城跡と中世の面影を残す国の名勝旧玄成院庭園がある。
執筆者:島田 正彦
越前国の城下町で,福井,大野,加賀を結ぶ交通の要地。1600年(慶長5)越前を領した結城秀康が勝山城を支城とし9840石で林定正を配置した。24年(寛永1)秀康の五男松平直基により勝山藩3万石が成立,91年小笠原貞信が2万2777石で入封して定着した。勝山は初め袋田・郡(こおり)・後(うしろ)町の勝山三町といわれ,新田とも2367石余。小笠原氏が城南に侍屋敷を設定し町域も広がり,19世紀初めに15町がみられる。町役人に町年寄,町庄屋,年行司があった。1698年3町各6人の町火消組がつくられ,幕末には5組になった。戸口は1738年(元文3)615戸・3144人,同じころ酒屋25軒,室屋22軒,桶屋19軒,大工と紺屋各14軒,鍛冶屋12軒などがあった。86年(天明6)と1811年(文化8)に大規模な打毀が起こった。幕末以降藩の奨励もあってタバコ,製糸,織物業が栄え,1872年(明治5)1484戸・6430人,1910年1687戸・7152人となる。
執筆者:隼田 嘉彦
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福井県東部、大野盆地の北にある機業都市。1954年(昭和29)勝山町と荒土(あらど)、野向(のむき)、遅羽(おそわ)、村岡(むろこ)、北谷(きただに)、北郷(きたごう)、平泉寺(へいせんじ)、鹿谷(しかだに)の8村が合併して市制施行。地名は、平泉寺を焼き討ちした一向一揆(いっこういっき)が拠点の村岡山を勝山と改めたのによる。九頭竜(くずりゅう)川右岸段丘上の現市街は、1580年(天正8)柴田勝安(しばたかつやす)が村岡山の城を移したのに始まり、1691年(元禄4)以降は勝山藩、小笠原(おがさわら)氏2万2700石の城下町であった。えちぜん鉄道勝山永平寺線、国道157号、416号が通じ、現在は福井と強く結ばれるが、明治までは谷(たに)峠越えに手取(てどり)川上流の牛首谷(うしくびだに)(現、石川県白山(はくさん)市白峰(しらみね))を後背地とし、牛首紬(つむぎ)や生糸、木材を集散して栄えた。1月の年の市(いち)や2月の左義長(さぎちょう)は当時のにぎわいをいまに伝える。また、藩政以来刻みタバコを特産していたが、1905年(明治38)の専売で廃業補償金を得て機業に転じた。工場はもと市街中心の旧武家屋敷地区に多かったが、近年周辺へ移転し、大型商店も進出して人口停滞都市とは思えぬ活気をみせる。市域内の山村は過疎地で、とくに深雪の北谷は人口減が甚だしい。市街南東方、女神(おながみ)川旧扇状地の平泉寺は奈良時代に泰澄(たいちょう)が開いた白山登拝の基地越前(えちぜん)馬場で、1574年(天正2)一向一揆勢により焼き討ちされるまで、広大な寺領と僧兵をもち、奥越の一大勢力であった。いまは白山神社と旧玄成院(げんじょういん)庭園(国指定名勝)が残り、白山平泉寺旧境内として国の史跡に指定されている。市街北方から大野市和泉(いずみ)地区にかけては奥越高原県立自然公園となっている。長尾山総合公園内には福井県立恐竜博物館がある。面積253.88平方キロメートル、人口2万2150(2020)。
[島田正彦]
『『勝山市史』全3巻(1974~1992・勝山市)』▽『『勝山の歴史』(1970・勝山市)』
岡山県北部、真庭郡(まにわぐん)にあった旧町名(勝山町(ちょう))。現在は真庭市の西部を占める地域。旭(あさひ)川上流に沿う。旧勝山町は、1896年(明治29)町制施行。1907年(明治40)川西、一宮(いちのみや)、月田の3村を合併、1949年(昭和24)旧月田村を分離、1955年月田、富原の2村と合併。2005年(平成17)北房(ほくぼう)、落合(おちあい)、湯原(ゆばら)、久世(くせ)の4町、美甘(みかも)、川上、八束(やつか)、中和(ちゅうか)の4村と合併して市制施行、真庭市となった。JR姫新(きしん)線と国道181号、313号が通じる。真庭市役所の所在地。中心地の勝山は、古くは真島郡高田郷とよばれ、南北朝時代には山城(やまじろ)の高田城があったが、1764年(明和1)に三浦氏が2万3000石で入封して勝山城と改めた。以来勝山藩の陣屋町、また旭(あさひ)川舟運の川湊(かわみなと)として栄えた。古い町並みが残り、県の町並み保存地区に指定され、武家屋敷館や郷土資料館がある。地域は山地が多く、植林が進み木材関係の工業が多い。中生代の粘板岩を用いる高田硯(すずり)を特産する。神庭(かんば)の滝は国指定の名勝。
[由比浜省吾]
『森本清丸編『勝山町史』全2巻(1974・勝山町)』
山梨県南部、南都留郡(みなみつるぐん)にあった旧村名(勝山村(むら))。現在は富士河口湖町の中央東部を占める一地区。2003年(平成15)河口湖町、足和田(あしわだ)村と合併し、富士河口湖町となる。河口湖の南岸に臨み、集落の高度は850メートル前後である。国道139号が通じる。農業は米作と高原キャベツを主とするが、かつては富士山麓(さんろく)のスズタケでつくったざるの製造が盛んで、ざるの行商、また甲州商人として洋服地、既製服などを県外で売る行商も行われた。近年は河口湖への観光客の増加によって観光に力が入れられている。
[横田忠夫]
福岡県北東部、京都郡(みやこぐん)にあった旧町名(勝山町(まち))。現在はみやこ町の北西部を占める。旧勝山町は1955年(昭和30)諫山(いさやま)、久保(くぼ)、黒田の3村が合併して町制施行。2006年(平成18)犀川(さいがわ)町、豊津(とよつ)町と合併しみやこ町となった。旧勝山町域は西部に竜ヶ鼻(りゅうがはな)(681メートル)、障子ヶ岳(しょうじがたけ)(427メートル)などの山地が広がり、林野が町域の過半を占めるが、東流する長峡(ながお)川沿いには沖積低地が開け、国道201号がトンネルで香春(かわら)町へ通じる。稲作農業が中心で、諫山はタケノコの特産地。中心集落の中黒田(なかくろだ)付近には、国の史跡である綾塚(あやづか)、橘塚(たちばなづか)両古墳をはじめ、古墳が多く、安勝寺(あんしょうじ)の寝松、観音(かんのん)山中腹の「胸の観音」、仲哀(ちゅうあい)公園のサクラ並木も有名である。
[石黒正紀]
千葉県南西部、浦賀(うらが)水道に臨む安房(あわ)郡鋸南町(きょなんまち)の中心地区。旧勝山町。JR内房(うちぼう)線安房勝山駅がある。海岸には県指定史跡源頼朝(よりとも)上陸地の碑が立ち、江戸時代には酒井氏1万2000石の城下町であった。沿岸漁業の基地である勝山港の沖合いの浮島(うきしま)周辺ではハマチなどの養殖が行われ、磯(いそ)釣りも盛んである。海浜は海水浴場として知られ、貸家、民宿が多い。
[山村順次]
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(宇田敏彦)
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…千葉県南部,東京湾に臨む安房(あわ)郡の町。1959年勝山町と保田(ほた)町が合体,改称。人口1万1071(1995)。…
…人口46万0968(1995)。中心市街地は近世初期,加藤嘉明が北部の分離丘陵勝山(132m)に居城を建設して松山と改称して以来,その城下町として発展した。愛媛県の発足(1873)によって松山は県庁所在都市となったが,第2次大戦前は人口10万人台で,産業も伊予絣(いよがすり)が特産であったにすぎない。…
…重信川および石手川によって形成された沖積平野で,扇状地性三角州を呈し,松山市吉田浜から伊予市にかけては海岸砂丘が連なる。周辺の山麓には播磨塚,矢取川などの洪積台地が発達し,平野内部には松山城のある勝山(松山。132m)をはじめ,星ヶ岡,天山などの分離丘陵が残る。…
※「勝山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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