勝山(読み)カツヤマ

デジタル大辞泉 「勝山」の意味・読み・例文・類語

かつやま【勝山】

江戸時代の婦人の髪形の一。末を細めにして束ねた髪を前へ輪のように巻き上げ、先をこうがいで留めたもの。丸髷まるまげの前の形。承応(1652~1655)のころ、江戸吉原の遊女勝山が始めたという。勝山髷。

かつやま【勝山】[岡山県の地名]

岡山県真庭市の地名。もと三浦氏の城下町。高田硯たかだすずりを特産する。

かつやま【勝山】[福井県の市]

福井県北東部の市。もと小笠原氏の城下町で、タバコ・絹織物の集散地として発展した。今も繊維・縫製業が盛ん。北谷地区の手取層群から多数の恐竜化石が発掘されている。人口2.5万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「勝山」の意味・読み・例文・類語

かつやま【勝山】

  1. [ 1 ]
    1. [ 一 ] 福井県北東部の地名。九頭龍(くずりゅう)川に沿う。小笠原氏二万七千石の旧城下町で、藩政時代は勝山煙草の栽培で知られた。昭和二九年(一九五四)市制。
    2. [ 二 ] 岡山県北部、真庭市の地名。旭川上流に沿い、もと高田と称した。三浦氏二万三千石の旧城下町。
    3. [ 三 ] 千葉県南西部、鋸南(きょなん)町の地名。海水浴場沿岸漁業基地として知られる。加知山(かちやま)
    4. [ 四 ] 承応・明暦(一六五二‐五八)頃の遊女の名。同名の遊女は数人いたが、中でも江戸吉原新町、山本芳潤抱えの勝山が最も有名。初め神田の紀伊国屋風呂の湯女(ゆな)であったが、承応二年(一六五三)吉原に移り、山本芳潤の抱えの太夫となった。だてな異風を好み、丹前風(たんぜんふう)、勝山髷(かつやままげ)外八文字(そとはちもんじ)などを流行させた。また、小歌、三味線にもすぐれていた。
      1. [初出の実例]「武州八王子之人也。正保三年丙戌、出世紀伊国風呂、而号勝山」(出典:評判記・色道大鏡(1678)一七)
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙
    1. かつやままげ(勝山髷)」の略。
      1. [初出の実例]「江戸の洗ひ髪は、いかにしてもしゃれてよし。かつやまも面白し」(出典:随筆・独寝(1724頃)上)
    2. かつやまかつら(勝山鬘)」の略。

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改訂新版 世界大百科事典 「勝山」の意味・わかりやすい解説

勝山[市] (かつやま)

福井県北東部の商工都市。1954年勝山町と荒土(あらど),野向(のむき),村岡(むろこ),遅羽(おそわ),北谷,北郷,平泉寺,鹿谷の8村が合体,市制。人口2万5466(2010)。市街は大野盆地北部の九頭竜川東岸の河岸段丘上にあり,かつては手取川上流を後背地にして谷峠越え(現,国道157号線)に生糸,牛首紬(うしくびつむぎ)などを集散した。藩政期には刻みタバコでも知られ,明治後期に専売制になってからは機業に転じたが,廃業補償を資本にしたため規模が比較的大きく,県下機業の一中心である。1574年(天正2)平泉寺を焼き滅ぼした一向一揆が自らの拠点村岡山を勝山と改めたのが地名の起りとされ,80年柴田勝家の一族柴田勝安が南の袋田に勝山城を築き,1691年(元禄4)以降小笠原氏の城下町として明治に至った。北谷,野向など過疎山村を抱えて市の人口は減少したが,市街地は流出人口の受け入れと機業場の外部移転で拡大した。京福電鉄(現,えちぜん鉄道勝山永平寺線)が通じる。遅羽町嵭崎(ほうき)に縄文時代の三室遺跡があり,平泉寺には白山平泉寺城跡と中世の面影を残す国の名勝旧玄成院庭園がある。
執筆者:

越前国の城下町で,福井,大野,加賀を結ぶ交通の要地。1600年(慶長5)越前を領した結城秀康が勝山城を支城とし9840石で林定正を配置した。24年(寛永1)秀康の五男松平直基により勝山藩3万石が成立,91年小笠原貞信が2万2777石で入封して定着した。勝山は初め袋田・郡(こおり)・後(うしろ)町の勝山三町といわれ,新田とも2367石余。小笠原氏が城南に侍屋敷を設定し町域も広がり,19世紀初めに15町がみられる。町役人に町年寄,町庄屋,年行司があった。1698年3町各6人の町火消組がつくられ,幕末には5組になった。戸口は1738年(元文3)615戸・3144人,同じころ酒屋25軒,室屋22軒,桶屋19軒,大工と紺屋各14軒,鍛冶屋12軒などがあった。86年(天明6)と1811年(文化8)に大規模な打毀が起こった。幕末以降藩の奨励もあってタバコ,製糸,織物業が栄え,1872年(明治5)1484戸・6430人,1910年1687戸・7152人となる。
執筆者:


勝山(山梨) (かつやま)


勝山(福岡) (かつやま)


勝山(岡山) (かつやま)

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日本歴史地名大系 「勝山」の解説

勝山
かちやま

金生きんしよう山の南方、中山道赤坂あかさか宿の南に位置する標高五一・四メートルの丘陵性の里山。古くはおか山と称し、中山道分間延絵図などには御勝おかち山とも記される。「大垣藩地方雑記」に「往昔清見原天皇大友皇子と不破関に於て御合戦あるに、天皇御勝利を得させられ、勝山へ帰陣したまひ」とあり、壬申の乱に際し、大海人皇子は当地で軍を整えたという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「勝山」の意味・わかりやすい解説

勝山(市)
かつやま

福井県東部、大野盆地の北にある機業都市。1954年(昭和29)勝山町と荒土(あらど)、野向(のむき)、遅羽(おそわ)、村岡(むろこ)、北谷(きただに)、北郷(きたごう)、平泉寺(へいせんじ)、鹿谷(しかだに)の8村が合併して市制施行。地名は、平泉寺を焼き討ちした一向一揆(いっこういっき)が拠点の村岡山を勝山と改めたのによる。九頭竜(くずりゅう)川右岸段丘上の現市街は、1580年(天正8)柴田勝安(しばたかつやす)が村岡山の城を移したのに始まり、1691年(元禄4)以降は勝山藩、小笠原(おがさわら)氏2万2700石の城下町であった。えちぜん鉄道勝山永平寺線、国道157号、416号が通じ、現在は福井と強く結ばれるが、明治までは谷(たに)峠越えに手取(てどり)川上流の牛首谷(うしくびだに)(現、石川県白山(はくさん)市白峰(しらみね))を後背地とし、牛首紬(つむぎ)や生糸、木材を集散して栄えた。1月の年の市(いち)や2月の左義長(さぎちょう)は当時のにぎわいをいまに伝える。また、藩政以来刻みタバコを特産していたが、1905年(明治38)の専売で廃業補償金を得て機業に転じた。工場はもと市街中心の旧武家屋敷地区に多かったが、近年周辺へ移転し、大型商店も進出して人口停滞都市とは思えぬ活気をみせる。市域内の山村は過疎地で、とくに深雪の北谷は人口減が甚だしい。市街南東方、女神(おながみ)川旧扇状地の平泉寺は奈良時代に泰澄(たいちょう)が開いた白山登拝の基地越前(えちぜん)馬場で、1574年(天正2)一向一揆勢により焼き討ちされるまで、広大な寺領と僧兵をもち、奥越の一大勢力であった。いまは白山神社と旧玄成院(げんじょういん)庭園(国指定名勝)が残り、白山平泉寺旧境内として国の史跡に指定されている。市街北方から大野市和泉(いずみ)地区にかけては奥越高原県立自然公園となっている。長尾山総合公園内には福井県立恐竜博物館がある。面積253.88平方キロメートル、人口2万2150(2020)。

[島田正彦]

『『勝山市史』全3巻(1974~1992・勝山市)』『『勝山の歴史』(1970・勝山市)』



勝山(岡山県)
かつやま

岡山県北部、真庭郡(まにわぐん)にあった旧町名(勝山町(ちょう))。現在は真庭市の西部を占める地域。旭(あさひ)川上流に沿う。旧勝山町は、1896年(明治29)町制施行。1907年(明治40)川西、一宮(いちのみや)、月田の3村を合併、1949年(昭和24)旧月田村を分離、1955年月田、富原の2村と合併。2005年(平成17)北房(ほくぼう)、落合(おちあい)、湯原(ゆばら)、久世(くせ)の4町、美甘(みかも)、川上、八束(やつか)、中和(ちゅうか)の4村と合併して市制施行、真庭市となった。JR姫新(きしん)線と国道181号、313号が通じる。真庭市役所の所在地。中心地の勝山は、古くは真島郡高田郷とよばれ、南北朝時代には山城(やまじろ)の高田城があったが、1764年(明和1)に三浦氏が2万3000石で入封して勝山城と改めた。以来勝山藩の陣屋町、また旭(あさひ)川舟運の川湊(かわみなと)として栄えた。古い町並みが残り、県の町並み保存地区に指定され、武家屋敷館や郷土資料館がある。地域は山地が多く、植林が進み木材関係の工業が多い。中生代の粘板岩を用いる高田硯(すずり)を特産する。神庭(かんば)の滝は国指定の名勝。

[由比浜省吾]

『森本清丸編『勝山町史』全2巻(1974・勝山町)』


勝山(山梨県)
かつやま

山梨県南部、南都留郡(みなみつるぐん)にあった旧村名(勝山村(むら))。現在は富士河口湖町の中央東部を占める一地区。2003年(平成15)河口湖町、足和田(あしわだ)村と合併し、富士河口湖町となる。河口湖の南岸に臨み、集落の高度は850メートル前後である。国道139号が通じる。農業は米作と高原キャベツを主とするが、かつては富士山麓(さんろく)のスズタケでつくったざるの製造が盛んで、ざるの行商、また甲州商人として洋服地、既製服などを県外で売る行商も行われた。近年は河口湖への観光客の増加によって観光に力が入れられている。

横田忠夫



勝山(福岡県)
かつやま

福岡県北東部、京都郡(みやこぐん)にあった旧町名(勝山町(まち))。現在はみやこ町の北西部を占める。旧勝山町は1955年(昭和30)諫山(いさやま)、久保(くぼ)、黒田の3村が合併して町制施行。2006年(平成18)犀川(さいがわ)町、豊津(とよつ)町と合併しみやこ町となった。旧勝山町域は西部に竜ヶ鼻(りゅうがはな)(681メートル)、障子ヶ岳(しょうじがたけ)(427メートル)などの山地が広がり、林野が町域の過半を占めるが、東流する長峡(ながお)川沿いには沖積低地が開け、国道201号がトンネルで香春(かわら)町へ通じる。稲作農業が中心で、諫山はタケノコの特産地。中心集落の中黒田(なかくろだ)付近には、国の史跡である綾塚(あやづか)、橘塚(たちばなづか)両古墳をはじめ、古墳が多く、安勝寺(あんしょうじ)の寝松、観音(かんのん)山中腹の「胸の観音」、仲哀(ちゅうあい)公園のサクラ並木も有名である。

[石黒正紀]


勝山(千葉県)
かつやま

千葉県南西部、浦賀(うらが)水道に臨む安房(あわ)郡鋸南町(きょなんまち)の中心地区。旧勝山町。JR内房(うちぼう)線安房勝山駅がある。海岸には県指定史跡源頼朝(よりとも)上陸地の碑が立ち、江戸時代には酒井氏1万2000石の城下町であった。沿岸漁業の基地である勝山港の沖合いの浮島(うきしま)周辺ではハマチなどの養殖が行われ、磯(いそ)釣りも盛んである。海浜は海水浴場として知られ、貸家、民宿が多い。

[山村順次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勝山」の意味・わかりやすい解説

勝山
かつやま

岡山県北部,真庭市中部の旧町域。旭川中流域,吉備高原久世盆地からなる。 1896年町制。 1955年月田村,富原村の2村と合体。 2005年北房町,落合町,湯原町,久世町,美甘村,川上村,八束村,中和村の8町村と合体して真庭市となった。中心地区の勝山はかつては真庭郡の行政中心地。旭川水運と出雲街道の交点にあたる交通の要地で宿駅が置かれた。三浦氏2万 3000石の陣屋町で,「旦」と呼ばれる河岸段丘上に武家屋敷が残っている。南西部の月田は旭川の支流新庄川,月田川に沿う木材の集散地で,製材工場が多い。高田硯と竹細工を特産。北部の星山 (1030m) 中腹には後醍醐天皇ゆかりの星山の集落があり,牧牛が行なわれる。付近に中国地方一といわれる神庭の滝 (国指定名勝) がある。北部は湯原奥津県立自然公園に属する。

勝山
かつやま

福岡県東部,みやこ町北部の旧町域。貫山地の南東斜面に位置する。 1955年諫山村,久保村,黒田村が合体して町制施行。 2006年犀川町,豊津町と合体して,みやこ町となった。山地や丘陵が多いが,東部の沖積低地での米作が中心。北九州市などへの通勤者も多い。綾塚古墳橘塚古墳 (ともに国の史跡) など古墳が多く,南部には国指定史跡の御所ヶ谷神籠石 (→神籠石 ) がある。一部は筑豊県立自然公園に属する。

勝山
かつやま

山梨県南部,富士山の北斜面にある地域。旧村名。 2003年 11月河口湖町,足和田村と合併し富士河口湖町となった。河口湖南岸の一部を含む。米作と野菜の栽培が行なわれるが,民宿を兼業する農家が多い。また富士吉田市方面への通勤者が増えている。国道 139号線が通る。

勝山
かつやま

千葉県南西部,浦賀水道にのぞむ鋸南町の中心地区。内房の海水浴場として知られる。田子台に弥生遺跡,沖合いに景行天皇の伝説が残る浮島がある。南房総国定公園に属する。

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百科事典マイペディア 「勝山」の意味・わかりやすい解説

勝山[町]【かつやま】

岡山県北部,真庭郡の旧町。旭川と新庄川の合流点にある主集落勝山はもと高田という出雲街道の駅で,姫新(きしん)線に沿い,農産物,木材を集散。特産に高田硯(すずり)がある。北部の神庭(かんば)の滝(名勝)は中国地方第1の名滝。2005年3月上房郡北房町,真庭郡落合町,湯原町,久世町,美甘村,川上村,八束村,中和村と合併し市制,真庭市となる。138.79km2。9270人(2003)。

勝山[町]【かつやま】

福岡県北東部,京都(みやこ)郡の旧町。中心は国道201号線沿いの街村。米作を行うほか,木材,シイタケ,タケノコも産する。北九州市への通勤者が増加している。2006年3月,京都郡犀川町,豊津町と合併し町制,京都郡みやこ町となる。33.94km2。7286人(2003)。

勝山[市]【かつやま】

福井県北東部の市。1954年市制。大野盆地北部と周辺山地を占め,九頭竜(くずりゅう)川沿いにえちぜん鉄道が通じる。中心市街は元禄年間以降小笠原氏の城下町として発達,刻みタバコの産で知られた。現在は明治以降盛んになった福井機業地帯に属し絹・人絹織物工場が多い。中世に栄えた平泉寺の跡(史跡),六呂師スキー場があり,2月に行われる勝山左義長まつりは300年以上の伝統をもつもので,観光客が多い。253.88km2。2万5466人(2010)。

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朝日日本歴史人物事典 「勝山」の解説

勝山

生年:生没年不詳
江戸中期の遊女。初め江戸神田の堀丹後守屋敷前の風呂屋(丹前風呂)の紀伊国屋抱えの湯女で,外出の際に男風の黒仕立に編笠を被り,木刀を帯びたと伝えられる名物湯女であった。承応2(1653)年8月,吉原新町の山本芳順抱えの太夫となり,明暦3(1657)年8月に廓を去ったと伝えられている。吉原に移籍後も丹前の勝山の名で評判を取り,その案出にかかる勝山髷や草履の勝山鼻緒は,広く一般にも流行した。また吉原廓内では,従来の道中の歩み振りを京都島原風から,いわゆる六法風に改め,外八文字の趣向に新味を発揮した。

(宇田敏彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「勝山」の解説

かつやま【勝山】

宮城の日本酒。酒名は、「勝ち星を山のようにとる」のことばから「勝」と「山」をとったという説と、女性の髪形「勝山髷」に由来するという説がある。「暁」は遠心分離によって搾る純米大吟醸酒。ほかに純米大吟醸酒「伝」、純米吟醸酒「献」などがある。平成3~5、11~15年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は山田錦など。仕込み水は泉ヶ岳山麓の伏流水。蔵元の「仙台伊澤家 勝山酒造」は元禄年間(1688~1704)創業。2代目のときに仙台藩御用酒屋となる。所在地は仙台市泉区福岡字二又。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「勝山」の解説

勝山 かつやま

?-? 江戸時代前期の遊女。
もと江戸神田の丹前風呂紀伊国屋(きのくにや)の湯女(ゆな)。紀伊国屋廃業後の承応(じょうおう)2年(1653)吉原の太夫となり,丹前勝山の名で人気をよぶ。勝山髷(まげ)を流行させ,勝山歩(あゆみ),勝山鼻緒などを創案。和歌や書にすぐれ,笛,琴などもたくみであったという。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「勝山」の解説

勝山
(通称)
かつやま

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
敵討誉勝山
初演
享和1.7(大坂・角芝居)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「勝山」の解説

勝山(かつやま)

宮城県、仙台伊澤家勝山酒造株式会社の製造する日本酒。純米大吟醸酒、特別純米酒などがある。

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世界大百科事典(旧版)内の勝山の言及

【鋸南[町]】より

…千葉県南部,東京湾に臨む安房(あわ)郡の町。1959年勝山町と保田(ほた)町が合体,改称。人口1万1071(1995)。…

【松山[市]】より

…人口46万0968(1995)。中心市街地は近世初期,加藤嘉明が北部の分離丘陵勝山(132m)に居城を建設して松山と改称して以来,その城下町として発展した。愛媛県の発足(1873)によって松山は県庁所在都市となったが,第2次大戦前は人口10万人台で,産業も伊予絣(いよがすり)が特産であったにすぎない。…

【松山平野】より

重信川および石手川によって形成された沖積平野で,扇状地性三角州を呈し,松山市吉田浜から伊予市にかけては海岸砂丘が連なる。周辺の山麓には播磨塚,矢取川などの洪積台地が発達し,平野内部には松山城のある勝山(松山。132m)をはじめ,星ヶ岡,天山などの分離丘陵が残る。…

※「勝山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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