平泉寺(読み)ヘイセンジ

デジタル大辞泉 「平泉寺」の意味・読み・例文・類語

へいせん‐じ【平泉寺】

福井県勝山市にあった天台宗の寺。山号は霊応山。養老元年(717)泰澄創建という。白山信仰を背景に修験道場として栄えたが、明治初期の神仏分離により白山神社となった。

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精選版 日本国語大辞典 「平泉寺」の意味・読み・例文・類語

へいせん‐じ【平泉寺】

  1. 福井県勝山市平泉寺にあった天台宗の寺。山号は霊応山。養老元年(七一七)泰澄の創立と伝えられる。加賀国石川県白山権現別当寺。応徳元年(一〇八四)から延暦寺に属し、白山信仰を背景に栄えた。明治初年神仏分離により寺号を失い白山神社となった。

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日本歴史地名大系 「平泉寺」の解説

平泉寺
へいせんじ

[現在地名]山形市平清水

りゆう山の北西麓にある。千歳山と号し、天台宗。本尊は胎蔵界大日如来。寺伝によれば、天平九年(七三七)行基の開山、仁寿二年(八五二)慈覚大師円仁の中興という。大日堂だいにちどう坂の東の林にある小池は慈覚大師が錫杖でうがった霊池とされ、寺号はこの池に由縁するといい、地名平清水ももとは平白水と書いたという。一〇世良永の代には源頼朝から祈願所とされ、寺領三六町を与えられ、塔頭一二坊が現在地より八町ほど山に入ったてらいりにあったと伝える。岩波石行いわなみしやくぎよう寺蔵大般若経写経に「文和二年五月九日 於于平泉寺客欄之下書之、出羽州石行寺常住一筆写百巻之内第三巻也」という奥書をもつものがあり、当寺での写経が知られる。


平泉寺
へいせんじ

[現在地名]阿久比町椋岡 唐松

鳳凰山と号し、天台宗。天長七年(八三〇)慈覚大師円仁の創建で淳和天皇勅願と伝える(当寺縁起)。「尾張志」によれば、文治六年(一一九〇)将軍源頼朝が当寺に泊まり、名月を賞して大乗だいじよう坊を円月えんげつ坊と改称した。文永一一年(一二七四)元軍襲来の際、後宇多天皇の勅命により異国降伏祈願を行って以来、本尊不動明王を生不動として信仰するに至った。

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改訂新版 世界大百科事典 「平泉寺」の意味・わかりやすい解説

平泉寺 (へいせんじ)

越前国大野郡平泉寺村(現,福井県勝山市)にあった修験道の寺。霊応山と号し,天台宗。白山の越前馬場の,白山三所権現をまつる別当寺であった。白山開山の泰澄が創始したと伝える。加賀馬場の白山寺,美濃馬場の長滝(ちようりゆう)寺とともに白山三馬場を形成し,正別当を争ったが,泰澄が越前の人であり,越前から白山を開いたので正面を主張して勢力をほこった。1084年(応徳1)に比叡山末寺となって天台宗に属した。しかし康治・天養(1142-45)のころ園城(おんじよう)寺長吏第29世覚宗が住持したので,山門寺門の争いを生じたが,1152年(仁平2)からは延暦寺末に帰した。強力な僧兵を擁して源平合戦,南北朝争乱,一向一揆などに介入し,元亀年間(1570-73)には寺領9万石,48社36堂,僧坊6000を数えたという。しかし1574年(天正2)の一向一揆によって白山三所権現,拝殿講堂,開山堂,今宮若宮常行堂などを焼かれた。江戸時代に入って徐々に復興したが,明治維新に白山神社をのこして廃滅。玄成院一院のみ残って,現在,白山神社社務所となっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平泉寺」の意味・わかりやすい解説

平泉寺
へいせんじ

福井県北部、勝山市の一地区。旧平泉寺村。法恩寺(ほうおんじ)山西麓(ろく)にあり、717年(養老1)に泰澄(たいちょう)が創建したと伝えられる平泉寺にちなむ地名。平泉寺は白山(はくさん)登拝の拠点の一つ越前(えちぜん)馬場にあり、白山中宮として、中世の盛時には48社、36堂、6000坊といわれた。1574年(天正2)一向一揆(いっこういっき)の兵火により全山焼亡、その後、往時の壮観を回復できなかった。明治初年の神仏分離によって白山神社が現在地に残る。白山神社境内は国の史跡に指定されている。

[印牧邦雄]

『高瀬重雄編『白山・立山と北陸修験道』(1977・名著出版)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平泉寺」の意味・わかりやすい解説

平泉寺
へいせんじ

福井県北東部,勝山盆地の南東部,九頭竜川支流女神川扇状地上の地区,旧村。勝山市に属する。白山の参詣登山路の表玄関で,養老1 (717) 年頃僧泰澄によって開かれたといわれる平泉寺があった。中世,比叡山延暦寺に属してから特に隆盛となり,朝倉氏と結んで多くの僧兵を擁して勢力をふるった。天正2 (1574) 年一向一揆衆の焼打ちにあい,全山荒廃した。明治4 (1871) 年寺を廃して白山神社とした。白山山頂の天嶺に対する中宮,石畳の参道,コケの美しさで有名な名勝旧玄成院庭園,史跡白山平泉城跡がある。

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世界大百科事典(旧版)内の平泉寺の言及

【勝山[市]】より

…福井県北東部の商工都市。1954年勝山町と荒土(あらど),野向(のむき),村岡(むろこ),遅羽(おそわ),北谷,北郷,平泉寺,鹿谷の8村が合体,市制。人口2万9162(1995)。…

【白山】より

…加賀馬場の中心は白山本宮で,神仏習合により平安中期以後は白山寺が実権を握る。越前馬場は白山中宮で平泉寺が中心であり,美濃馬場は白山本地中宮といい,中心は長滝(ちようりゆう)寺である。718年(養老2)泰澄(たいちよう)がはじめて登拝して,御前峰の神は白山妙理大菩薩と号し,本地が十一面観音,大汝峰の神は大己貴(おおなむち)で本地は阿弥陀如来,別山は小白山別山大行事で聖観音が本地ということを明らかにしたとする伝承がある。…

※「平泉寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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