出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
越前国大野郡平泉寺村(現,福井県勝山市)にあった修験道の寺。霊応山と号し,天台宗。白山の越前馬場の,白山三所権現をまつる別当寺であった。白山開山の泰澄が創始したと伝える。加賀馬場の白山寺,美濃馬場の長滝(ちようりゆう)寺とともに白山三馬場を形成し,正別当を争ったが,泰澄が越前の人であり,越前から白山を開いたので正面を主張して勢力をほこった。1084年(応徳1)に比叡山の末寺となって天台宗に属した。しかし康治・天養(1142-45)のころ園城(おんじよう)寺長吏第29世覚宗が住持したので,山門寺門の争いを生じたが,1152年(仁平2)からは延暦寺末に帰した。強力な僧兵を擁して源平合戦,南北朝争乱,一向一揆などに介入し,元亀年間(1570-73)には寺領9万石,48社36堂,僧坊6000を数えたという。しかし1574年(天正2)の一向一揆によって白山三所権現,拝殿,講堂,開山堂,今宮,若宮,常行堂などを焼かれた。江戸時代に入って徐々に復興したが,明治維新に白山神社をのこして廃滅。玄成院一院のみ残って,現在,白山神社社務所となっている。
執筆者:五来 重
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
福井県北部、勝山市の一地区。旧平泉寺村。法恩寺(ほうおんじ)山西麓(ろく)にあり、717年(養老1)に泰澄(たいちょう)が創建したと伝えられる平泉寺にちなむ地名。平泉寺は白山(はくさん)登拝の拠点の一つ越前(えちぜん)馬場にあり、白山中宮として、中世の盛時には48社、36堂、6000坊といわれた。1574年(天正2)一向一揆(いっこういっき)の兵火により全山焼亡、その後、往時の壮観を回復できなかった。明治初年の神仏分離によって白山神社が現在地に残る。白山神社境内は国の史跡に指定されている。
[印牧邦雄]
『高瀬重雄編『白山・立山と北陸修験道』(1977・名著出版)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…福井県北東部の商工都市。1954年勝山町と荒土(あらど),野向(のむき),村岡(むろこ),遅羽(おそわ),北谷,北郷,平泉寺,鹿谷の8村が合体,市制。人口2万9162(1995)。…
…加賀馬場の中心は白山本宮で,神仏習合により平安中期以後は白山寺が実権を握る。越前馬場は白山中宮で平泉寺が中心であり,美濃馬場は白山本地中宮といい,中心は長滝(ちようりゆう)寺である。718年(養老2)泰澄(たいちよう)がはじめて登拝して,御前峰の神は白山妙理大菩薩と号し,本地が十一面観音,大汝峰の神は大己貴(おおなむち)で本地は阿弥陀如来,別山は小白山別山大行事で聖観音が本地ということを明らかにしたとする伝承がある。…
※「平泉寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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