コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

平泉寺 へいせんじ

5件 の用語解説(平泉寺の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平泉寺
へいせんじ

福井県北東部,勝山盆地の南東部,九頭竜川支流女神川扇状地上の地区,旧村。勝山市に属する。白山の参詣登山路の表玄関で,養老1 (717) 年頃僧泰澄によって開かれたといわれる平泉寺があった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

へいせん‐じ【平泉寺】

福井県勝山市にあった天台宗の寺。山号は霊応山。養老元年(717)泰澄の創建という。白山信仰を背景に修験道場として栄えたが、明治初期の神仏分離により白山神社となった。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

へいせんじ【平泉寺】

越前国大野郡平泉寺村(現,福井県勝山市)にあった修験道の寺。霊応山と号し,天台宗。白山の越前馬場の,白山三所権現をまつる別当寺であった。白山開山の泰澄が創始したと伝える。加賀馬場の白山寺,美濃馬場の長滝(ちようりゆう)寺とともに白山三馬場を形成し,正別当を争ったが,泰澄が越前の人であり,越前から白山を開いたので正面を主張して勢力をほこった。1084年(応徳1)に比叡山の末寺となって天台宗に属した。しかし康治・天養(1142‐45)のころ園城(おんじよう)寺長吏第29世覚宗が住持したので,山門寺門の争いを生じたが,1152年(仁平2)からは延暦寺末に帰した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

へいせんじ【平泉寺】

福井県勝山市にあった天台宗の寺。山号は霊応山。白山権現の別当寺。717年泰澄の草創という。1084年に延暦寺に属す。六〇〇〇坊を有し、隆盛をきわめた。1870年(明治3)神仏分離によって寺号が廃止され、白山神社となった。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

平泉寺
へいせんじ

福井県北部、勝山市の一地区。旧平泉寺村。法恩寺(ほうおんじ)山西麓(ろく)にあり、717年(養老1)に泰澄(たいちょう)が創建したと伝えられる平泉寺にちなむ地名。平泉寺は白山(はくさん)登拝の拠点の一つ越前(えちぜん)馬場にあり、白山中宮として、中世の盛時には48社、36堂、6000坊といわれた。1574年(天正2)一向一揆(いっこういっき)の兵火により全山焼亡、その後、往時の壮観を回復できなかった。明治初年の神仏分離によって白山神社が現在地に残る。白山神社境内は国の史跡に指定されている。[印牧邦雄]
『高瀬重雄編『白山・立山と北陸修験道』(1977・名著出版)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の平泉寺の言及

【勝山[市]】より

…福井県北東部の商工都市。1954年勝山町と荒土(あらど),野向(のむき),村岡(むろこ),遅羽(おそわ),北谷,北郷,平泉寺,鹿谷の8村が合体,市制。人口2万9162(1995)。…

【白山】より

…加賀馬場の中心は白山本宮で,神仏習合により平安中期以後は白山寺が実権を握る。越前馬場は白山中宮で平泉寺が中心であり,美濃馬場は白山本地中宮といい,中心は長滝(ちようりゆう)寺である。718年(養老2)泰澄(たいちよう)がはじめて登拝して,御前峰の神は白山妙理大菩薩と号し,本地が十一面観音,大汝峰の神は大己貴(おおなむち)で本地は阿弥陀如来,別山は小白山別山大行事で聖観音が本地ということを明らかにしたとする伝承がある。…

※「平泉寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

稀勢の里寛

1986- 平成時代の力士。昭和61年7月3日生まれ。中学卒で鳴戸部屋に入門し,平成14年3月初土俵。16年5月新十両,同年11月には18歳4ヵ月で新入幕をはたす。18年7月新三役小結,21年3月新関...

続きを読む

コトバンク for iPhone

平泉寺の関連情報