村田修子(読み)ムラタ シュウコ

20世紀日本人名事典 「村田修子」の解説

村田 修子
ムラタ シュウコ

昭和期の劇作家



生年
明治41(1908)年12月10日

没年
昭和51(1976)年9月5日

出生地
佐賀県

本名
篠原 雪枝

学歴〔年〕
実践女子専門学校国文科〔昭和4年〕卒

主な受賞名〔年〕
新劇戯曲賞奨励賞〔第1回〕〔昭和30年〕「埋火

経歴
弘前高等女学校教諭を経て婦人公論記者となり篠原敏之(後の中央公論編集長)と結婚、戦後は香蘭女学院に勤めた。戦前尾崎士郎の「人生劇場」、豊田正子の「続綴方教室」を脚色し新築地劇団で上演。女流劇作家団体「しろかね劇作会」所属、「婦人文芸」編集、放送作家組合理事。「生れた家」「埋火」「天使部屋」「三メートル平方」「土筆」「はじめはみんな子どもだった」のほか、ラジオ、テレビ作品がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村田修子」の解説

村田修子 むらた-しゅうこ

1908-1976 昭和時代の劇作家。
明治41年12月10日生まれ。篠原梵(ぼん)の妻。弘前高女教諭をへて,「婦人公論」記者。昭和30年「埋火」で第1回新劇戯曲賞奨励賞をうけた。放送作品もおおい。昭和51年9月5日死去。67歳。佐賀県出身。実践女専卒。本名は雪枝。作品はほかに「生れた家」「天使の部屋」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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