村田庄(読み)むらたのしよう

日本歴史地名大系 「村田庄」の解説

村田庄
むらたのしよう

平安末期に立荘された広大な荘園で、荘域は茨城・筑波真壁新治にいはり四郡に広がる。康治二年(一一四三)八月一九日の太政官牒案(安楽寿院古文書)

<資料は省略されています>

とあり、安楽寿院領村田庄は常安つねやす保と南野みなみの(のちの南野庄)を内包するが、のちに荘内から南野牧が自立し(「八条院領目録」山科家古文書)、村田庄の主体は常安保となる。平安末期に当地方は常陸平氏の本宗多気義幹とともに一族下妻広幹が開発領主として強大な領主的基盤を有しており、当庄の立荘に常陸平氏一族がかかわったことは明白であろう。


村田庄
むらたのしよう

近世の村田村一帯に比定される宇佐うさ八幡宮領。正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)にみえる「村田庄」と「宇佐大鏡」にみえる「村田別符」とは同一と考えられる。

「惣田数注文」には「庄園分」として「村田庄百二十七丁」とあり、「宇佐大鏡」には「村田別符 田数百三十丁 宮召物 加地子卅石 副米廿一石三十丁 国半不輸 件別符大宮司公順之私領也」とある。荘園の成立は応徳二年(一〇八五)から保安四年(一一二三)までの期間とみられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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