来原別符(読み)くるはらべつぷ

日本歴史地名大系 「来原別符」の解説

来原別符
くるはらべつぷ

金城町上来原かみくるばら・下来原に比定され、久留原とも記された。南北朝期を境にして史料には来原郷とみえることが多い。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に那賀郡の公領として「来原 三丁六段六十卜」とみえ、後筆と思われる「すふ知行」の注記がある。嘉禄三年(一二二七)五月七日の北条泰時袖加判下文(閥閲録)によると「久留原別符」の地頭職が藤原(田村)弥四郎盛家に安堵されている。しかし、藤原盛家が久留原別符の譲渡の配分を定めずに亡くなったため、文永二年(一二六五)惣領とみられる泰盛は父に替わって遺領を配分し、同別符の舎弟などの分を除いた地頭職が安堵されている(同年九月二八日「関東下知状」同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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