来原 慶助
クルハラ ケイスケ
明治〜昭和期の教育者 満州日報社長。
- 生年
- 明治3年(1870年)
- 没年
- 昭和5(1930)年9月15日
- 出生地
- 石見国(島根県)
- 学歴〔年〕
- 島根師範卒
- 経歴
- 台湾国語学校教師を経て、明治32年清(中国)廈門の東亜書院の副院長兼教頭として赴任、現地の青年子弟の教育に従事。日露戦争中は陸軍通訳として第1軍司令部に属し従軍、陣中の見聞を記録し「黒木軍夜話」を著した。戦後は満州日報社長兼主筆を務め、満州問題に貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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来原慶助 くるはら-けいすけ
1870-1930 明治-昭和時代前期の教育者。
明治3年生まれ。台湾国語学校教師をへて,明治32年清(しん)(中国)厦門(アモイ)の東亜書院の副院長兼教頭となる。日露戦争中は陸軍通訳として従軍し,戦後は満洲日報社長兼主筆をつとめた。昭和5年9月15日死去。61歳。石見(いわみ)(島根県)出身。島根師範卒。著作に「黒木軍夜話」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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