来迎寺跡墓塔群(読み)らいごうじあとぼとうぐん

日本歴史地名大系 「来迎寺跡墓塔群」の解説

来迎寺跡墓塔群
らいごうじあとぼとうぐん

[現在地名]市来町大里

島内(しまうち)と南隣の中原(なかはら)集落との間の小丘上にある鎌倉・室町期の石塔群。この一帯は曹洞宗の弥陀山来迎寺跡であり、同寺は承元年中(一二〇七―一一)に丹後局が建立したと伝えられる。中世は市来院を統治した郡司市来氏一族の菩提寺であった。寛正三年(一四六二)に市来氏は島津立久に滅ぼされ、文明五年(一四七三)八月一五日、立久は来迎寺の寺領三町と山野畠地などを長里(ながさと)(現東市来町)の龍雲(りよううん)寺に寄進した(「島津立久寄進状」旧記雑録)。その後、天文一七年(一五四八)に龍雲寺の玄済が島津貴久の命を受け再建した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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