東二条院(読み)ひがしにじょういん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東二条院」の解説

東二条院 ひがしにじょういん

1232-1304 鎌倉時代,後深草天皇中宮(ちゅうぐう)。
貞永(じょうえい)元年生まれ。西園寺実氏(さねうじ)の次女。母は四条隆衡(たかひら)の娘。康元元年(1256)後嵯峨(ごさが)天皇養女となり入内(じゅだい)。翌年中宮となり,貴子内親王,姈子(れいし)内親王(のち遊義門院)を生む。正元(しょうげん)元年院号をうける。嘉元(かげん)2年1月21日死去。73歳。名は公子(こうし)。法名は円鏡智(えんきょうち)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東二条院」の意味・わかりやすい解説

東二条院
ひがしにじょういん

[生]貞永1(1232).京都
[没]嘉元2(1304).1.21. 京都
深草天皇の皇后藤原公子。太政大臣西園寺実氏の娘。母は権大納言四条隆衡の娘准三宮貞子。康元1 (1256) 年女御 (にょうご) となり,同2年1月中宮。貴子内親王,れい子内親王を産んだ。正元1 (59) 年院号宣下により東二条院と称し,二条富小路第に移った。永仁1 (93) 年落飾して円鏡智と称した。

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朝日日本歴史人物事典 「東二条院」の解説

東二条院

没年:嘉元2.1.21(1304.2.27)
生年:貞永1(1232)
鎌倉中期の女院。後深草天皇の皇后。遊義門院,貴子内親王の母。太政大臣西園寺実氏の次女。名は公子。康元1(1256)年後嵯峨上皇の猶子となって入内し,翌年中宮となる。夫の後深草は甥で11歳年下であった。正元1(1259)年院号宣下。『とはずがたり』に後深草の妾二条に対して嫉妬したことがみえる。

(秋山喜代子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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