日本歴史地名大系 「東五条院跡」の解説 東五条院跡ひがしごじよういんあと 京都市:下京区醒泉学区柿本町東五条院跡文徳天皇の母で五条后と称された藤原順子の御所であるが、のち宇多天皇の女御温子の邸、更に藤原忠平邸ともなった。五条宮(ごじようのみや)・東五条宮(三代実録)・東五条堀川院(日本紀略)などとも称される。「文徳実録」嘉祥三年(八五〇)四月二二日条に「六衛解厳、皇太夫人(順子)移御東五条院」とあり、順子は文徳天皇崩御の後もこの邸に住したらしく、「三代実録」には「奉迎皇太夫人於五条宮、欲令擁護幼冲太子也」(天安二年八月二九日)、「皇太后於東五条宮大修斎会、講法華会経限五日訖」(貞観二年一〇月二八日)などとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by