柿本町(読み)かきもとちよう

日本歴史地名大系 「柿本町」の解説

柿本町
かきもとちよう

下京区五条通堀川西入大宮まで、岩上・猪熊・黒門通五条上ル下ル一円

町の北側は北門前きたもんぜん町、南側は花屋町はなやちよう(旧左女牛小路)、東側は堀川ほりかわ(旧堀川小路)、西側は西門前にしもんぜん町・南門前みなみもんぜん町・堀之上ほりのかみ町・大宮おおみや一丁目に接する。町の中央を南北に猪熊いのくま(旧猪熊小路)が、東西に五条通(旧六条坊門小路)が通る。旧本圀ほんこく寺の境内地。

平安京の条坊では、左京六条二坊一保一町東南側、同二町東側、同七町全域、同八町南側、同二保三町東側、同四町東側、同五町全域、同六町全域及び七条二坊一保一町東側、同八町全域にあたる。平安前期、当町東北側付近には文徳天皇の母藤原順子の東五条院(五条堀川院)があった(日本紀略)。院政期には、藤原忠実の日記「殿暦」康和四年(一一〇二)九月一二日条に「巳刻焼亡、安芸守経忠朝臣住宅也」とみえ場所の表示はないが、「中右記」同日条は同じ火災を「巳剋許六条堀河辺小屋焼亡」と記しているから、安芸守藤原経忠宅も六条堀川辺にあったものと思われる。また「殿暦」天永三年(一一一二)五月二六日条には「今夜堀河楊梅伊賀守孝清家に渡、依院仰也」と、忠実白河院の命で同邸に移った記事がみえ、六月九日条には「孝清家、堀河西(楊)梅北角」とみえる。


柿本町
かきもとちよう

中京区両替町通三条上ル

南北に通る両替町りようがえまち通を挟む両側町。町の北寄りを南西姉小路あねやこうじ(旧姉小路)が通る。

平安京の条坊では、町の北側が左京三条三坊三保一一町南、南側が同一二町北にあたる。鎌倉時代、「左京姉小路以北、烏丸以西、姉小路面」にあった侍従藤原範継の家地(「寛喜四年三月一三日付藤原範継家地売券」八坂神社文書)は当町付近であったと思われる。

近世は、両替町、または下両替町(京雀)で、明治三年(一八七〇)に現町名とする(坊目誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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