朝日日本歴史人物事典 「藤原順子」の解説
藤原順子
生年:大同4(809)
平安前期の仁明天皇の女御。藤原冬嗣と藤原美都子の娘。五条后と称される。仁明天皇の東宮時代に後宮に入り,天長4(827)年道康親王(文徳天皇)を生む。10年仁明天皇即位とともに女御となり,従四位下に叙された。承和の変(842)ののち,道康親王が立太子し,11年には従三位となった。嘉祥3(850)年文徳天皇即位とともに皇太夫人となり,斉衡1(854)年には皇太后となる。文徳天皇が崩じたのち,貞観3(861)年に出家。6年太皇太后。仏教に帰依し,東大寺戒壇諸僧からは大乗戒を,天台座主円仁からは菩薩戒を受けた。墓所は順子御願の安祥寺(京都市山科区)の近く。
(谷口美樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報