日本歴史地名大系 「東佐波令村」の解説
東佐波令村
ひがしさばりようむら
古代から中世にかけて周防の国衙が置かれ、村域内には周防国分寺・
西隣の西佐波令や宮市を含んだ地を中世から近世中期頃まで佐波令とよんでおり、東西の佐波令村に分けて高付されるのは寛永三年(一六二六)の熊野帳が最初で、東佐波令村の総石高は一千八三六石一斗九升八合であった。
「地下上申」の寛保元年(一七四一)上申分は佐波令全体で記すが、その内訳として東佐波令一千七八三石余(田方一千五〇七石余、畠方二二六石余、町地料石四九石)、国衙村一千二〇五石余とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報