日本歴史地名大系 「東大崎村」の解説 東大崎村ひがしおおさきむら 新潟県:三条市東大崎村[現在地名]三条市東大崎嵐北東山丘陵の西側、五十嵐(いからし)川右岸に開けた村で、北は上野原(うえのはら)村、南は中新(ちゆうしん)村、西は西大崎村と接する。中世には当地一帯は大崎保の地であった。丘陵先端の要害(ようがい)山(一四一メートル)には大崎城跡がある。要害山城ともよばれ、西方の平野部や五十嵐川流域を見わたすことができ、信濃川と五十嵐川の会合地三条と連絡する絶好の地に位置する。御館の乱の際、上杉景勝は天正八年(一五八〇)四月二二日付の書状(「上杉家記」所収菅名文書)で、加茂に布陣する菅名綱輔に対し、「近日大崎口へ可下馬候条、参陣尤候」と述べている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by