日本歴史地名大系 「東尾崎村」の解説 東尾崎村ひがしおざきむら 佐賀県:神埼郡神埼町東尾崎村[現在地名]神埼町大字尾崎字尾崎西分(おざきにしぶん)・迎田(むかいだ)・井手(いで)・祇園原(ぎおんばる)・土生(はぶ)日の隈(ひのくま)山の南西部に位置する。中世神埼庄の北西端にあった。「九州治乱記」に天文一四年(一五四五)「尾崎村」の名がある。正保絵図に村名がみえる。天保七年(一八三六)の御祓配帳(仁比山神社蔵)によれば戸数九五。嘉永六年(一八五三)写の大小配分石高帳によれば、佐賀本藩の二六名が知行士として記載されている。 東尾崎村ひがしおさきむら 富山県:魚津市東尾崎村[現在地名]魚津市東尾崎片貝(かたかい)川扇状地の片貝川右岸にあり、北は木下新(きのしたしん)村、対岸は持光寺(じこうじ)村・西尾崎村。かつて西尾崎村とともに尾崎村と称したが、嘉暦二年(一三二七)の片貝川洪水による川筋の変化で二村に分れたと伝える(下新川郡史稿)。正保郷帳では高三三五石余、田方二二町一反余・畑方二反余、新田高四三石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると草高三四一石・免四ツ八歩、小物成は山役二九匁・鱒役一匁・鮎川役五匁(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報