日本歴史地名大系 「東平井村」の解説 東平井村ひがしひらいむら 群馬県:藤岡市東平井村[現在地名]藤岡市東平井鮎(あゆ)川が西境を北流し、東は藤岡町、西は西平井村、南は三本木(さんぼぎ)村、北は鮎川村と接する。室町時代に関東管領山内上杉氏の居城平井城が西平井村に築城されると城下の町場となり、賑うとともに度々の戦火にあったと思われる。元亀三年(一五七二)六月一四日の武田家朱印状(高山徳樹氏所蔵文書)に「東平井市」とあり、三・八の六斎市が開かれている。天正一〇年(一五八二)六月、高山重正に東平井七五貫文が与えられる(滝川一益判物写「高山系図」所収)。寛文郷帳では田方三五一石八斗余・畑方六六九石五斗余、幕府領・前橋藩領・旗本太田領の三給。元禄郷帳では旗本太田・三島領など旗本の六給。後期の御改革組合村高帳でも旗本赤松・太田領など旗本の六給、元禄(一六八八―一七〇四)より三島・小泉・松平・近藤の各氏は変わらず、家数一一一。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by