日本歴史地名大系 「東掛村」の解説 東掛村とうげむら 京都府:亀岡市東掛村[現在地名]亀岡市東別院(ひがしべついん)町東掛大野(おおの)村の南東、ほぼ南流する栢原(かいばら)川上流の東掛川に沿う清坂街道沿いに位置する山村。ほぼ南は南掛(なんげ)村・栢原(かいばら)村、東は山を挟んで二料(にりよう)村(現大阪府高槻市)。天保一二年(一八四一)の「桑下漫録」によれば高二四〇石、戸数五〇、高槻藩領。農作のほかは木炭を産した。村内に石門心学の祖石田梅厳の生家がある。梅厳は貞享二年(一六八五)当村の農家の次男に生れ、二三歳の時京都の商家に奉公し、儒・神・禅の道を学び、四五歳の時自ら創始した心学の講義を開き、庶民の精神的救済をはかった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by