改訂新版 世界大百科事典 「東明節」の意味・わかりやすい解説
東明節 (とうめいぶし)
三味線音楽の種目名。鉄道工業の先駆者,平岡煕(ひろし)(平岡吟舟)が創始した。彼は1877年アメリカから帰国後,汽車の車両製造をはじめる一方,河東節(かとうぶし)の山彦秀翁(11世十寸見(ますみ)河東)を後援してその復興に力を尽くしたが,謡曲,一中節,清元なども学び,みずからくふうして各種の新作を発表した。その新曲を世間では平岡節といったが,吟舟を名のった彼は1902年ころから東明節と称した。当時の一流芸能人がこれを学んだので流行,28年ころからは東明流と改めた。代表作品に《大磯八景》《向島八景》(ともに1902)がある。転調が多く変化に富み,技巧的な曲が多い。その没後,次男平岡次郎が2世吟舟をついだが,作曲や教授は分家家元の東明柳舟(1882-1949)が名高い。柳舟は初世吟舟の次女揚子で,夫の高橋箒庵(1861-1937,本名義雄,芸名一舟)の作詞による作品を多く残している。代表作に《花の心》(1926),《此君》(1929)など,華麗で繊細な曲が多い。2世柳舟はその門弟竹若雄二郎(1916-89)が1960年に若舟を経てついだ。東明節はのちの大和楽(やまとがく)や創作邦楽に大きな影響を与えたが,現在はあまり流行していない。なお,流儀の名取名には,唄方は舟,三味線方は吟の字を入れることになっている。
執筆者:竹内 道敬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報