邦楽の種目名。大倉組を創始した大倉喜八郎の長男喜七郎(1882―1963)が、1933年(昭和8)に創流した新邦楽。洋楽に造詣(ぞうけい)の深い大倉は、その知識や技術を三味線音楽に導入して、自ら『田植』『砧(きぬた)』などをつくった。歌い手の岸上(きしがみ)きみ(1897―1962)も、1938年ごろには『狐(きつね)』『隅田川』(ともに長田幹彦(ながたみきひこ)作詞)を手がけたという。そのころ宮川寿朗(じゅろう)(清元栄寿郎)が参加する。東明(とうめい)流に堪能な宮川は、東明独特の手法を持ち込んで『あやめ』『雪折竹(ゆきおれだけ)』などをつくった。また『うぐいす』のように、東明流『春の鳥』かと聞き誤るばかりの曲をも自作として世に問うた。大和楽団の第1回演奏会は1943年のことで、浅井丸留子(まるこ)(1891―1974)や伊能(いのう)はつ枝らは、藤間勘素娥(かんそが)(観素娥、1910―2000)・花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)ら舞踊家を交えて日比谷(ひびや)公会堂で開催した。1968年(昭和43)2派に分裂。1976年、三島儷子(れいこ)(1905―1988)は大和美代葵(みよき)と改名して家元となり、長唄の芳村伊十七(よしむらいそしち)(1938―2013)を三味線に迎えた。伊十七は大和久満と名のるが、別に芳賀稔の名で『花吹雪(はなふぶき)』などを作曲している。
[倉田喜弘]
三味線音楽の一種目。1933年大倉財閥の2代目大倉喜七郎(1882-1963)が創始。邦楽に洋楽の発声をとり入れたもので,東明節(とうめいぶし)の影響も認められる。新邦楽の一つの典型とされ,富崎春昇(1880-1958),宮川源司(清元栄寿郎,1904-63),原信子(1893-1979)らが指導者で,代表的な歌い手は岸上きみ(1898-1962),三島儷子(1905-88)らであった。68年2派に分裂し,三島改め大和美代葵(みよき)と大和久満(ひさみつ)(芳村伊十七,1938- )らの派が活躍。大和久満には芳賀稔(はがみのる)の筆名で《四季の花》ほかの作品がある。美しいメロディの曲が多く,二重唱,輪唱などの手法をとり入れるなどして変化をつけている。代表曲に《隅田川》(長田幹彦作詞,岸上きみ作曲),《あやめ》(長田幹彦作詞,宮川源司作曲),《団十郎娘》(邦枝完二作詞,宮川源司作曲)など。
執筆者:竹内 道敬
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…小唄の曲節には,清元のそれを基本としたものが多く,発声法などに大きな影響がみられる。また大倉喜七郎から発した〈大和楽(やまとがく)〉も清元を母体としており,清元栄寿郎が力を注いだこともあって,その影響が強く感じられる。
[代表曲]
5世延寿太夫時代までの代表曲はおよそ60曲,ほかに富本節からの移行曲が15曲ほどある。…
…代表作に《大磯八景》《向島八景》《都鳥》《東明獅子》などがある。東明節の創始は2世稀音家浄観(きねやじようかん),2世清元寿兵衛(3世清元梅吉),大和楽(やまとがく)の清元栄寿郎などに影響を与えた。また,アメリカから帰国後,日本最初の野球チーム〈新橋アスレチック・クラブ〉をつくって日本の初期野球の基礎をつくったのをはじめ,ローラースケートの道具を持ち帰って普及に努めるなど,その多彩な活動で築いた財を一代で散じ,〈平岡大尽〉などとも呼ばれた。…
※「大和楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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