高橋 箒庵
タカハシ ソウアン
明治〜昭和期の実業家,茶道研究家 三井合名理事。
- 生年
- 文久1年8月28日(1861年)
- 没年
- 昭和12(1937)年12月12日
- 出生地
- 常陸国水戸市
- 本名
- 高橋 義雄
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾卒
- 経歴
- 慶応義塾で福沢諭吉に推挙されて、明治5年時事新報入り。英国留学後、24年三井銀行に勤務。28年三井合名理事に就任。三越呉服の近代化をはかり、デパートメント・ストアの形を定着させた。また茶の湯と邦楽を趣味とし、財界に茶の湯を広めるなど、数寄者と呼ばれる文化人を集めた。また茶道具名器を集大成した「大正名器鑑」を編集・出版。茶の湯ジャーナリズムの先鞭をつけた「東都茶会記」(13冊)、日記「万象録」など文筆の面でも名高い。文化事業の一端として護国寺茶室群を建設した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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高橋箒庵 たかはし-そうあん
1861-1937 明治-昭和時代前期の経営者,茶道研究家。
文久元年8月28日生まれ。三井銀行,三井呉服店などに勤務。王子製紙専務のあと51歳で実業界を引退して益田孝,原三渓らとともに数寄(すき)者として活躍。昭和12年12月12日死去。77歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。慶応義塾卒。本名は義雄。著作に「東都茶会記」,編著に「大正名器鑑」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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高橋 箒庵 (たかはし そうあん)
生年月日:1861年8月28日
明治時代-昭和時代の実業家;数奇者
1937年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の高橋箒庵の言及
【茶事】より
…その一方で,茶事はまた道具中心の展開も示したのであって,とくに明治に入って,財閥富商の間に茶道具の収集熱がたかまってくると,名品を誇示する茶事が盛行するようになる。この種の茶事記録は,高橋箒庵(1861‐1937)が《時事新報》へ連載執筆した記録を中心に編集刊行された《東都茶会記》12冊,《大正茶道記》8冊,《昭和茶道記》1冊に詳述された。四大茶会記が,記録文学としての評価を得ようとするのに対し,箒庵の実見記は,その後,茶の湯ジャーナリズム,ひいては茶器の研究,茶道史の発展に大きな影響を与えたといえる。…
【東明節】より
…その没後,次男平岡次郎が2世吟舟をついだが,作曲や教授は分家家元の東明柳舟(1882‐1949)が名高い。柳舟は初世吟舟の次女揚子で,夫の高橋箒庵(1861‐1937,本名義雄,芸名一舟)の作詞による作品を多く残している。代表作に《花の心》(1926),《此君》(1929)など,華麗で繊細な曲が多い。…
※「高橋箒庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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