日本歴史地名大系 「東柏倉村」の解説
東柏倉村
ひがしかしわぐらむら
江戸時代初期には東西一村で、寛文郷帳によると田方三四四石余・畑方六八石余、前橋藩領。寛文七年(一六六七)の五人組帳(「宮城村誌」所収)では家数七〇・人数三七三。貞享二年(一六八五)東西に分れたと伝え、元禄二年(一六八九)の検地帳・新田検地帳(宮城村役場蔵)によれば、東柏倉村の高一二八石余、反別は田方一〇町五反余・畑方三町九反余・屋敷七反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報