東柏倉村(読み)ひがしかしわぐらむら

日本歴史地名大系 「東柏倉村」の解説

東柏倉村
ひがしかしわぐらむら

[現在地名]宮城村柏倉

鼻毛石(はなけいし)村の北西に位置し、村東端を荒砥(あらと)川が流れる。北は赤城山原野に続き、西は西柏倉村。永禄九年(一五六六)一一月、北条高広は柏倉郷内の九貫二〇〇文の土地を三夜沢(みよさわ)赤城神社に寄進しており(同月一五日「北条高広判物」奈良原文書)、天正一三年(一五八五)八月には大胡高繁が柏倉内の九貫文の地を同じく赤城神社に寄進している(同月吉日「大胡高繁判物」同文書)。

江戸時代初期には東西一村で、寛文郷帳によると田方三四四石余・畑方六八石余、前橋藩領。寛文七年(一六六七)の五人組帳(「宮城村誌」所収)では家数七〇・人数三七三。貞享二年(一六八五)東西に分れたと伝え、元禄二年(一六八九)の検地帳・新田検地帳(宮城村役場蔵)によれば、東柏倉村の高一二八石余、反別は田方一〇町五反余・畑方三町九反余・屋敷七反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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