柏倉村(読み)かしわぐらむら

日本歴史地名大系 「柏倉村」の解説

柏倉村
かしわぐらむら

[現在地名]山形市柏倉・高木たかぎ城森しろもり富神前とがみまえ田吹たぶき佐倉宿さくらじゆく富神台とがみだい中屋敷なかやしき御手作おてさく百目鬼どめき

門伝もんでん村の南に位置し、白鷹しらたか丘陵の東麓、富神山の東麓丘陵と、西岸平地に立地。村の南部に丘陵が張出し村を包む形になっている。柏蔵村とも書かれた。本村の東、須川の西岸に枝郷高木がある。柏倉道は山形城下西の沼木ぬまぎ村から高木・本村を経て富神山の南から山道で、狐越きつねごえ街道につながる。また「東山かた(形)北山のへ(辺)湯殿山」と刻した天明二年(一七八二)の追分石が残り、湯殿山参詣の道筋でもあったことを示している。門伝村との境を富神沢、菅沢すげざわ村との境をおそ沢が東流する。

最上氏改易後は山形藩領、延享元年(一七四四)幕府領(旧山形県史)、同三年下総佐倉藩領、同四年陸奥棚倉藩領、宝暦一三年(一七六三)再び佐倉藩領となる。


柏倉村
かしわぐらむら

[現在地名]栃木市柏倉町

小野口おのぐち村の北に位置し、東は皆川城内みながわじようない村。柏倉山をもって南北に分れ、南をふじ川、北を柏倉川がほぼ東流するが、両川とも鞍掛くらかけ(琴平山)水源の一つとする。壁谷に皆川城の支城跡があり、「皆川正中録」に皆川氏の要害地としてみえる柏倉は壁谷城をさすか。慶長一四年(一六〇九)までは皆川広照領(延享元年「皆川歴代記」皆川又太郎文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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