東瀬棚村(読み)ひがしせたなむら

日本歴史地名大系 「東瀬棚村」の解説

東瀬棚村
ひがしせたなむら

[現在地名]瀬棚郡北檜山町字北檜山・字徳島とくしま・字兜野かぶとの・字丹羽にわ・字東丹羽ひがしにわ・字西丹羽にしにわ・字愛知あいち・字豊岡とよおか・字松岡まつおか・字小倉山おぐらやま

明治三五年(一九〇二)から昭和二八年(一九五三)まで存続した瀬棚郡の自治体名。瀬棚郡の中央に位置し、東は利別目名としべつめな川を境に利別としべつ(現今金町)、南は山脈を境に太櫓ふとろ郡太櫓村、西は日本海、真駒内まこまない山脈を隔て瀬棚村(現瀬棚町)、北は狩場かりば山地を隔て後志支庁島牧しままき郡島牧村に接する。明治三五年二月瀬棚郡瀬棚村のうち、明治一七年以降本州からの移住者により後志利別川と支流真駒内川・利別目名川流域が開拓されて形成された部落が分離して東瀬棚村が成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android