東笠原村(読み)ひがしかさはらむら

日本歴史地名大系 「東笠原村」の解説

東笠原村
ひがしかさはらむら

[現在地名]加西市東笠原

西笠原村の東に位置し、下里しもさと川が村の中央部を南流する。天正(一五七三―九二)末期から文禄(一五九二―九六)初期に笠原村が東西に分村したと推定され、文禄四年八月一七日の豊臣秀吉知行方目録(木下家文書)に「東かさはら村」四四石余とみえる。慶長国絵図にも「ひかし笠原」とある。領主変遷は宝永三年(一七〇六)までは坂田の坂本さかたのさかもと村と、宝暦一三年(一七六三)までは東南ひがしなん村と、文政元年(一八一八)までは西笠原村と同じで、同二年上野高崎藩領となり(「年貢免状」東笠原町有文書など)、それ以後は東南村に同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む