日本歴史地名大系 「東苑跡」の解説
東苑跡
とうえんあと
首里城跡の南南東、首里台地の南端部分に位置した旧王家の別邸。壇と為す。壇側に新に茶亭を建て、国王游観の所と為す。屋三楹、軒窓洞開了し、塵翳無し。壁に箋有りて曰く、粗茶淡飯飽即休と。王、都通事蔡某に命じ書する所なり。亭の東に培土して小山を為り、石盆を架し、金魚百数を畜う。陶瓦もて小竜を為り、機を発して水を引き、竜口より噴出せしむ。週廻して竭きず。亭の西は花樹を雑植す(中略)国王、臣楫に乞い、其の門に榜して東苑と曰う(中略)是れ中山第一の勝境なり」とみえ、尚貞王の求めにより汪楫が東苑と名付けた。
首里古地図には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報