徐葆光(読み)じょ・ほこう

朝日日本歴史人物事典 「徐葆光」の解説

徐葆光

没年:雍正1(1723)
生年:生年不詳
18世紀の中国の官僚。字名は亮直江蘇省長洲出身。康煕51(1712)年,殿試に合格し,翰林院の編修となる。同58年に琉球国の尚敬を 中山王冊封する冊封副使として琉球へ渡航する。正使は海宝。約8カ月琉球に滞在し,琉球冊封使録の白眉とされる『中山伝信録』(1721)を著した。同書は,琉球への渡航,諭祭・冊封の儀礼,七宴,琉球国の地誌,官制,風俗,琉球語などを記録し,江戸や京都でも木版本が作成され,またフランス人宣教師によって翻訳されるなど琉球認識を形づくる上で重要な役割を果たした。<参考文献>『那覇市史』資料篇1巻3,矢沢利彦訳注『イエズス会士中国書簡集』5巻

(豊見山和行)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徐葆光」の解説

徐葆光 じょ-ほこう

?-1723 清(しん)(中国)の官僚。
1719年琉球尚敬王の冊封(さくほう)副使として,正使海宝(かい-ほう)とともに琉球にわたる。詩文を通じて琉球の文人と交流をはかり,滞在中に見聞,調査してまとめた「中山(ちゅうざん)伝信録」は日本でもひろくよまれた。雍正(ようせい)元年死去。江蘇(こうそ)省出身。字(あざな)は亮直。号は澄斉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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