日本大百科全書(ニッポニカ) 「東陽坊」の意味・わかりやすい解説
東陽坊
とうようぼう
京都・建仁寺(けんにんじ)本坊方丈背後の園中にある茶室。もと北野の高林(こうりん)寺(真如堂塔頭(たっちゅう)東陽坊の末寺。廃寺)にあったが、その後移転を重ねて明治20年代に建仁寺に移築され、大正年間に現在地に移された。東陽坊に住していた僧長盛が1587年(天正15)の北野大茶会のとき、紙屋川の土手につくったものと伝えるが、明らかでない。高林寺にあったころは、利休好み、遠州好みともいわれていた。二畳台目(だいめ)、下座床(とこ)で、躙口(にじりぐち)の正面に点前座(てまえざ)を配し、中柱を立て、雲雀(ひばり)棚をつっている。点前座勝手付にあった洞庫(どうこ)を色紙窓とし、後世の改変を受けた部分もある。
[中村昌生]